2021年6月2日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 初日』をオンライン視聴。
今回は赤穂義士伝がテーマということで、とても楽しみにしてました。
15日間の長丁場、果たしてついていけるでしょうか…(;’∀’)
↑の写真は築地にある旧浅野邸跡です。
(現在は聖路加病院の敷地)
演目
旭堂南舟 矢頭右衛門七(一)
旭堂南龍 前原伊助(一)
旭堂小南陵 大石内蔵助(一)
南舟さん・矢頭右衛門七(一)
矢頭右衛門七教兼は、四十七士の中で大石主税に次いで年少(討ち入り時17歳)
道半ばで亡くなった父の長助に代わり、浅野家の仇討ち本懐を果たしました。
お話は、元服前から始まります。
主人である大石主税と帰り道を歩いていた右衛門七。
女性の悲鳴が聞こえたので駆けつけてみたところ、暴漢に襲われていた。
主税は問答無用で暴漢を成敗。
一方、右衛門七は慎重に考え主税に後れを取ってしまった。
ある日、三村次郎左衛門に会った右衛門七は、「自分の振る舞いは侍らしくない。侍に向いていないのではないか」と吐露。
次郎左衛門は、「慎重が悪い事ではない、それがいい方向に働くこともある。まったく気にする事はない」と諭された。
南龍さん・前原伊助(一)
前原伊助宗房は槍の名人です。
今回は生い立ちから浅野家に奉公するまで。
江戸で出逢った、質の悪い講釈師との会話が面白かったです。
近江国・前原村に生まれた伊助は、父・伊兵衛と琵琶湖で漁をしている。
ある日の帰り、彦根城の侍が槍の稽古をしているのを見て、伊助も槍を練習をしたいと言う。
父親には反対されましたが、伊助は竹槍を作成して魚を突く練習。
一年後、百発百中の腕前になった伊助。
獲った魚は美味しいという事で評判になった。
ある日、伊助は寄合に出席。
地元の名主から狐狸妖怪(こりようかい)の噂を聞き、退治のために寺へ向かう。
和尚に化けていると考えた伊助は槍で一突き。
血煙を上げて倒れる和尚。しかし、妖怪は出てこず和尚本人だった。
懐あった手紙を見た伊助は、その足で名主の元へ。
和尚は不品行で、地元の人に気づかれる前に寺へ納めたものを質屋へ売り払い逐電しようとした。
その間、近づかないように狐狸妖怪の噂を流していた。というのが真相だった。
名主が訴え出て御検視。
伊助にお咎めはなかったが、名を挙げたいと江戸に出る。
江戸に出てきた伊助。
ご飯処で質の悪い講釈師をあっという間に退治したところ、その様子を見ていた人入れ屋に浅野家の中間下郎を紹介された。
三年後の正月、浅野家でよく働いていた伊助に起こった事とは?
小南陵さん・大石内蔵助(一)
赤穂藩城代家老・大石内蔵助良雄。
出自に二つの説があるというお話は初めて聞きました。
①赤穂藩・永代家老、大石家の流れを汲んで生まれている説
大石良昭と、岡山藩池田家の重臣・池田由成の娘『くま』の子。
良昭は赤穂藩の筆頭家老になる予定でしたが、34歳の若さで亡くなりました。
そのため良雄(内蔵助)は、祖父・良欽の養子になって19歳の若さで家督を継いでます。
②岡山藩池田家から赤穂へ養子に来た説(講談はこちらの説を採用)
※良雄の養父は良欽ですが、講談では叔父の『頼母助良重』に置き換わってます。
赤穂藩・城代家老の大石頼母(良重)は、当時の主君の浅野長友より長年の功績を労われ、休暇をもらうことに。
湯治を勧められ、腹心の瀬尾孫左衛門を連れて、津の有馬温泉に向かう。
湯に向かう途中、碁を打つ音を聞いた頼母。
孫左衛門に聞けば岡山藩の池田家が滞在しているとのこと。
退屈をしていたので、是非碁の友達になりたいと言う。
話しを聞いた池田玄蕃(由勝)は喜んで碁の相手をすることに。
玄蕃は頼母とほぼ同じ実力で、勝ったり負けたり。
碁打ちを楽しんでいる二人の下に、玄蕃へ二人の子息からの手紙が届く。
次男の久馬はとても字が綺麗で、手紙を見せられた頼母は惚れてしまった。
次男ということは、家督を継げずいずれは養子に出される身。
頼母は何とかして池田久馬を養子に迎えようと画策する…
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