第八回 連続講談千鳥亭3日目6/4~矢頭右衛門七完結

2021年6月4日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 3日目』をオンライン視聴。

今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
3日目、矢頭右衛門七のお話が完結します。

写真は、高輪・泉岳寺にある矢頭右衛門七のお墓です。

演目

旭堂南龍  前原伊助(三)
旭堂小南陵 大石内蔵助(三)『久馬御薬献上』
旭堂南舟  矢頭右衛門七(三)

まとめ

当日は旭堂南龍さんのお誕生日。
会場は連続講談史上、最大の入場者だったそうです。

小南陵さんから、『unun』作成経緯のお話がありました。
神田松之丞(当時)さんが『anan』に取り上げられたことに対抗して作成したんですね。
南龍さんはやけに脱ぎたがると…(;’∀’)

南龍さん・前原伊助(三)

浅野内匠頭は癇癪持ちだったという話が伝わっていますが、今回もその一旦だったのでしょうか。
小南陵さんは『此花千鳥亭』を建てるため、三井住友銀行から二億円借りた!?

江戸総登城(参勤交代で江戸に滞在している大名が江戸城に上がり、将軍に拝謁する)後の酒宴の席で、浅野内匠頭長矩は『松浦隠岐守』にお家芸の槍を馬鹿にされた。

松浦の家来には、杉山流小太刀の名人『佐々木琢磨』を召し抱えている。
「佐々木に掛かれば浅野家300名の槍の使い手は風前の灯火」
「『槍の浅野家』を改めた方がよろしいかもしれませんな」と嫌言を言われた。

屋敷に帰った浅野内匠頭は怒り心頭。
伊助を呼び出し、肥前・平戸へ赴き佐々木琢磨を懲らしめるよう密命を下す。
話を聞いた伊助は「勝つも負けるも命はないな」と腹を括り、翌朝平戸へ向かう。

平戸に着いた伊助。身分が漏れるのを危惧し宿帳には『斎藤新次郎』と偽名を使った。
宿主が言うには、佐々木と会うには『御門切手』が必要とのこと。
伊助は、御紋切符を持っている者と知り合うため一計を案じる。

一文無しの伊助は、刀の目貫を売って宿賃に当てたいと言う。
宿屋の主人は道具屋に相談。道具屋は、五万石以上の大名の目貫と判断。
伊助に五両を渡し、佐々木に三十五両で売り利益を得ようと策略をした。

御門切手を持っている道具屋は、佐々木琢磨に目貫の話。
佐々木は三十五両で買い取る事を承諾するが、条件として持ち主と話がしたいと言う。
話しを聞いた伊助は、稽古槍を持ち佐々木琢磨へ会いに行く事となる…

小南陵さん・大石内蔵助(三)

南龍さんへの誕生日プレゼントのお話が面白かったです。
実際に着用している場面を観る機会はあるのでしょうか(笑)

今回のお話は浪曲『久馬御薬献上』にもある物語。
若干12歳の池田久馬が、自らの死を覚悟して主君に意見する場面に、胸を打たれました。

大石頼母と池田玄蕃が出会う一年前。
玄蕃の次男・久馬は、学問を愛し、薬をまったく飲まない主君(池田内蔵頭)のために、ご意見を申し上げる事になった。

ー学問と言うのは、知ると知らぬとでは天地の差。
 世の中を照らす光で、知っていれば民を守り国を守る事ができる。
主君はこのように言う。

家臣あっての主君、家臣がこれほどまでに心配しているのに薬を飲まないのはなぜか?
家臣の心配を払拭するのが主君の役目。
久馬は『松永弾正正秀』と『斎藤内蔵助利三』の例を出し、内蔵頭に詰め寄る。

しかし、内蔵頭は「薬は毒のものである、自らの力によって体を治す。叶わなければそれは天命」「すべては学問によって…」
久馬は「我らの敵は学問でございます」と書物や硯箱をひっくり返し叩き出した。

怒った内蔵頭は刀を取り出し、逃げ出した久馬を追い出すが、体が弱っており追いつけない。
息を切らしたところ、水を一杯一気に飲み干す。
が、二杯目を飲もうとしたところ、水が薬湯と気が付く。

薬湯を持ってきた坊主を手打ちにしようとしたところ、久馬が止めに入り自分の命と引き換えに薬を飲むことを懇願したところ、内蔵頭はやっとすべてを察知し、受け入れるのであった。

この功績により、12歳の久馬は相談役・500石の禄を取る事に。
話しは一年後に戻る…

南舟さん・矢頭右衛門七(三)

南龍さんの若手時代のお話。
『逆櫓の松』の前の喫茶店で食べたロールケーキに興味津々です(笑)

父である矢頭長助が亡くなった後、吉良への仇討が決まった。
借金のかたに先祖代々の腹巻を、紙屋に質入れしていた右衛門七は、嘘をついて持ち出す。

討ち入り当日の昼、泉岳寺にて主君浅野家の仏事供養。
大石内蔵助は一同の前で、「死んだ後で不埒があったと後ろ指を指されたくない」と世間に対して申し訳ない事を集める。

右衛門七は、腹巻の一件を吐露。
話しを聞いた内蔵助は、礼状をしたため二十両と共に借金をしていた紙屋に飛脚を飛ばした。

その夜、吉良邸へ討ち入り。
飛脚より討ち入りの噂が先に大坂へ届いてしまった。
紙屋は癪に障り右衛門七の悪口を言いふらしていたが、そこに大石の礼状・右衛門七の詫び状・二十両が届いたため考えを改める事になった。

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