2021年6月6日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 5日目』をオンライン視聴。
今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
↑の写真は、泉岳寺境内です。
演目
旭堂小南陵 大石内蔵助(五)
旭堂南舟 鈴木重八(二)
旭堂南龍 前原伊助(五)
小南陵さん・大石内蔵助(五)
ちょっと抜けている、いわゆる「天然」のエピソード。
上方落語・某師匠にエピソードが面白かったです(笑)
芸界であれば可愛い間違いで終わりますが…
赤穂にやってきた、池田久馬改め大石内蔵助。
13歳から、学問に剣術に精を出していた。
が、三年後・16歳になった辺りから様子がおかしくなってきた。
着物を後ろ前に着る。下駄と草履を互い違いに履く。刀を右側に差してしまう。
城代家老の養子がこのような姿を現していたので、『昼行燈』という噂が広がってしまった。
この話が養父の大石頼母の耳に入った。
ここは父親として話をしておきたいと、酒宴を開くと言う。
諸侯は小言を言われると考えるが、逆に頼母に意見を申し上げようと参加する。
その席で頼母は、諸侯に感謝。
小言を言われると身構えていた一同は肩透かしを食らったが、「子が昼行燈なら、親は大行燈」とさらに噂を広げる事になった。
今度はこの噂が浅野の主君である、『采女正長友(内匠頭長矩の父)』の耳に入った。
話を聞いた長友も酒宴を開くと言う。
こちらも小言を言われると身構えたが、長友は諸侯に感謝した。
「大行燈と昼行燈。かの者が城代家老と、その跡取りとして勤めが叶うならば世の中は太平」
「昼行燈は昼間に暗雲立ち込め、雨が降った時の何と心強い事よ」
長友は、こう言って大石親子のことを一同に任せた。
酒宴後、長友は内蔵助を呼び出す。御主君はわかってくれていた。
内蔵助は他家から養子に入ったため、浅野家の内情がよくわかっていない。
そのため、わざとうっかりした姿を見せて、いざという時に誰がどのような考えをするか見極めているのだった。
そんな折、江戸で山鹿甚五右衛門という儒学者が、朱子学を批判したことから赤穂へお預けの身となる。山鹿の移送は内蔵助に白羽の矢が立った。
山鹿には弟子が一万人いるが、どのようにして移送したのか…
南舟さん・鈴木重八(二)
南舟さんは野球オタク。
今後野球に関する講談を作るかもしれないとお話されてました。
高校野球もお詳しいようなので、1998年・松坂大輔選手率いる横浜高校の夏の甲子園。
軌跡について講談を期待します。
無法者『マムシの勘助』に因縁をつけられた若侍。
刀を抜き斬り捨てようとしたところ、水茶屋の『おはな』に助けられました。
癪気が出て顔色が悪い若侍は、このおはなが働いている茶屋で休むことに。
そこへ、薬を持った下郎が入って来た。
薬を飲み元気になったので、おはなにたっぷりのお茶代を渡し退散。
一緒にいたのはわずかな時間だったが、若侍・お花。共に別れを惜しんだ様子。
若侍は、浅野内匠頭の御側役『鈴木重八』と言う。果たして二人はどうなるのか!?
南龍さん・前原伊助(五)
今回は堀部弥兵衛27歳の話から始まりますが、後半に本筋へ戻ります。
弥兵衛と言えば『(中山)安兵衛』の養父としての話しか知らなかったので、今回初めて武勇伝を聞けて満足です。
海賊の親分の一言、「海賊王に俺はなる!?」は面白かったです(笑)
『義を見てせざるは勇無きなり』
何も知らない商人一家が乗った海賊船に同上した弥兵衛。
酔わされたふりをして寝たふりをしていたところ、海賊の船頭がやって来た。
船頭が抜こうとした刹那、弥兵衛は刀を真一文字に抜き払い倒す。
びっくりした海賊は親分を呼び出した。
『南鷹の親分』と言うが弥兵衛によってあっさり斬られ、子分一同も斬られてしまった。
一人残った海賊は船を赤穂まで移動。
そして役人に訴え取り調べ。この海賊は瀬戸内で暴れ回っていたので処刑。
船は焼き沈められる。
商人は命を助けてもらったお礼に、弥兵衛を赤穂に逗留させる。
そして、話を聞いた当時の赤穂藩主君・浅野長友は、80石で弥兵衛を召し抱えるのだった。
話は戻って江戸・浅野の上屋敷。
弥兵衛は『千馬三郎兵衛(光忠)』と『富森助右衛門(正因)』を派遣することを提案。
二人は身支度を整え、平戸に向かう。
偶然、前原伊助と同じ宿に泊まった千馬と富森。
茶代一分を女子と主人に渡したところ、験が悪いという事で伊助の話を聞いた。
平戸から出るには船しかなく、帳面を書かなければならないが、伊助の名前はない。
どうやら伊助はまだ平戸にいるらしい。
二人は宿帳に偽名を書き、佐々木琢磨に近づこうとする。
「松浦家によしみを通じるためには、あの手しかない。」
果たして、『あの手』とは?
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