2021年6月7日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 6日目』をオンライン視聴。
今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
↑の写真は、泉岳寺・赤穂義士墓地へ繋がる参道です。
演目
旭堂南龍 前原伊助(六)
旭堂小南陵 大石内蔵助(六)『大石山鹿護送』
旭堂南舟 鈴木重八(三)
南龍さん・前原伊助(六)
『座敷牢』
イメージがつかないので、画像を検索してみました。
畳敷きの部屋に頑丈な格子がある。文字通りの画でした。
『槍浅野』と謡われる浅野家家臣・前原伊助宗房は、主君長矩からの密命を受け、肥前・平戸へ向かい、小太刀の使い手佐々木琢磨と試合し見事勝利。
名乗りを上げたところ手のひらを返した佐々木だったが、眠り薬を入れて伊助を座敷牢へ幽閉する。
伊助からの手紙がひと月ない事で、顔色が悪くなった長矩。
事情を聞いた堀部弥兵衛は、千馬三郎兵衛と富森助右衛門を平戸に派遣。
丁度泊った宿屋は伊助が泊っていた宿屋と同じだった。
二人は伊助と同じ『無銭飲食』を行う。
だが目貫のような高価なものはないので、この旅籠で働く事になった。
ある日、二人の様子を見た松浦家の家来が、佐々木琢磨の家来・足軽として仕事を斡旋する。
働きながら伊助の居所を掴んだ二人。8月15日・仲秋の名月に酒宴が開催された夜更けに行動を開始。
「伊助!前原伊助!宗房!」
平戸で「宗房」の名乗りを上げていなかった前原。
右足を引きずりながら、座敷牢の格子にきたところ千馬と富森の姿が。
二人は前原を助け出した。
助け出したはいいものの、土地勘がない三人。
見晴らしのいい場所を探し平戸の『物見台』で地形を確認していたところ、佐々木琢磨以下門人の数々が追ってきた。追い詰められた三人はどうなってしまうのか!?
小南陵さん・大石内蔵助(六)
先入観。
知ってる人には通じますが、新しい方には通じないのかもしれないですね。
古い伝統を打破するのも若い方というのもわかる気がします。
『山鹿素行(甚五左衛門)』は、朱子学を批判し陽明学を推奨。
さらに、経済学・軍学も門弟に教授していたため、蟄居閉門。
赤穂藩にお預けとなった。
蟄居が気に入らない山鹿の門弟は、山鹿を奪還しようとする。
しかし、これが公儀にの耳に入ったため、山鹿を赤穂に流罪の上蟄居する事を赤穂藩に通達。
「できるわけがない」と思った江戸家老の『安井彦右衛門』だったが、公儀の命令なので仕方なく従う事に。
主君の長友が出府し評定を始める。
江戸からは500名の人数で山鹿を固めて移送する事になった。
一方、赤穂の評定。こちらからは300名を送り、合計800名で運ぶ話になる。
しかし、評定の末座に座っていた内蔵助は、少人数で運ぶのがいいと提案。
「奪われるときは奪われる」このような発言をする内蔵助に、責任をなすりつけようとする重役は移送の責任者に任命する。
評定後の内蔵助。
「少人数で奪われた方が被害が少なくて済む」
「最悪の場合、自分が討たれるか、切腹するかすればいい」
義父の大石頼母にこう話した。
瀬尾孫左衛門を連れて江戸へ出立。
江戸表で、主君・長友に事情を説明、移送は50名で務める事になった。
内蔵助は移送の後乗りを担当。前乗りは臆病で有名な『近藤源四郎』を指名する。
東海道から、品川。鈴ヶ森あたりから怪しげな侍がちらほら現れ始めた。
六郷の川を渡り、川崎宿を通過。初日は戸塚宿、二日目は小田原宿に宿泊。
内蔵助が率いている足軽には、二合までお酒を許可を出し、労をねぎらう。
山鹿は内蔵助と酒を酌み交わしながら、奥底にある考えに興味を関心を持った。
一方、近藤が率いている足軽には、お酒はおろか睡眠も却下。
近藤自身も不眠で、疲れが取れない。
三日目、箱根・権現坂で山鹿流の門弟200名が内蔵助を取り囲む…
南舟さん・鈴木重八(三)
今回トリで、次回は朝席でトップ。
昔の高校野球は一試合終わるたびに抽選しており、その事を思い出したそうです(笑)
鈴木重八は、堀部安兵衛と別懇の間柄。
堀部は武芸だけでなく、学問にも詳しかったそうで、教えを乞うていた。
そんな重八は父親の死後21歳の若さで御側役になる。
一か月後。
非番になった重八は、浅草の水茶屋の娘『おはな』のもとへ謝礼に。
話を聞けば、お花は旧浅野家臣・里見十右衛門の娘だった。
思いがけない出会いに二人は意気投合。
そのまま恋仲となり、おはなは妊娠をする。
しかし、重八の江戸詰めが終了。赤穂に帰ることとなる。
重八は、堀部安兵衛にお花を預け出立。
その後おはなは子供を産むが…
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