第八回連続講談千鳥亭10日目6/11~大石妻子別れ

2021年6月11日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 10日目』をオンライン視聴

今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
↑の写真は、大石主税が切腹した、松平隠岐守三田屋敷に植えられていたと伝えられている『主税梅』です。

演目

旭堂南舟  小林平八郎(一)
旭堂南龍  潮田又之丞(三)
旭堂小南陵 大石内蔵助(十)『大石妻子別れ』

南舟さん・小林平八郎(一)

小林平八郎央通(ひさみち)は、吉良家家老。二刀流だったそうです。
赤穂浪士討ち入りの際、討死したと言われてます。

備後国・三原村。親子そろって武芸が好きだった平八郎。
村のごろつきが稽古とかこつけて小林家で酒を飲み、父親が小遣いまで渡していたため、貯えがなくなってしまう。両親はそのうちに亡くなる。

そこで、家をたたみ武者修行の旅へ出ることに。
江戸に出てきた平八郎は、麹町で二刀流の道場を開く。
二刀流は珍しい流儀なので、弟子がたくさん集まって来る。

道場は繁盛したが、立派な主人に仕えたい。
地元の備後国・松平安芸守に仕えたいと考えた平八郎は、看板に『備後・三原の住人』と大きく書いた。

この看板を見た松平家の若侍が道場にやってきて弟子入り。
名声も上がり、この話を聞いた安芸守は、「二刀流の腕を見てみたい。もしその腕が本物であれば召し抱えてもよいであろう。呼んで参れ」と言う。
この言葉に喜んだ平八郎は上屋敷にやってきた。

安芸守は平八郎の実力を計りたいが、前に出ない家来たち。
こうなれば、小林平八郎の不戦勝・召し抱えとなるわけだが、ある人物がやってきた…

南龍さん・潮田又之丞(三)

潮田主水の身代わりになった浪人は、問屋場で切腹という事になった。
翌日が今生の別れになるので酒を飲みたい。
役人はその声に応え、酒と肴を用意。

役人にも振舞う浪人、ただし支払いは役人持ち(笑)
見張られいるところ酒肴を飲みながら、浪人は寝てしまった。
安心した役人たちも酒肴を平らげ寝てしまう。

…時刻は丑三つ時。
役人が寝ているのを確認した浪人『中川蟠龍軒(ばんりゅうけん)』は問屋場を抜け出す。
中川は、もう一度潮田主水に会いたい。命が欲しいので逃げたのだった。

行く当てもなく、街道を歩いていたところ、強盗に襲われている米問屋『大津屋久兵衛』を助けた。
米問屋に戻り、久兵衛に感謝され、丁重にもてなしを受ける蟠龍軒。
翌日、離れを改装した道場の師範の依頼され快諾。

『中川蟠龍軒の剣術道場』
教え方が上手いので、近郷近在の者がめきめきと上達。
蟠龍軒も月謝を集められ、糊口をしのげるようになった。

ある日、道場で門弟が剣術稽古をしているところ、外から物乞いの少年が文句を言っている。
門弟たちは怒り、少年を道場に上げ懲らしめることにした。
しかし、少年は返り討ちに。

その腕を見た蟠龍軒は、『志のある者』と見抜き門弟に加えることにする。
少年は15歳、元は百姓で侍になりたいから剣術の稽古をしていたと言う。

三年後。
少年『次郎吉』は、剣術の腕を上げ周りからも一目置かれるようになった。
ある日、蟠龍軒は酒を飲もうとして相手を探していたが、門弟は出払って次郎吉しかいなかった。

蟠龍軒は次郎吉と酒を酌み交わすことにした。
酒が入った湯飲み茶碗を受け取ろうした時、涙を流す次郎吉。
なぜ次郎吉は泣いてしまったのか…

小南陵さん・大石内蔵助(十)

吉良上野介は年が明けたら上杉家に身を置くことになっていたそうです。
考えてみれば、日取りを含め討ち入りの情報がまったく吉良(上杉)側に漏れていなかったこと、ある種の奇跡ですね。

元禄14年3月14日。
浅野内匠頭長矩は江戸城・松の廊下で吉良上野介義央への刃傷事件を起こした。
長矩は即日切腹、赤穂藩は改易になった。

水谷家の出来事を見ていた内蔵助は、籠城の愚かさを身にしみてわかっていた。
そのため、城を明け渡し・御用金を分配し浪々の身なることを決める。
内蔵助は京都・山科で蟄居。

家族を招き一緒に暮らしていた内蔵助だったが、だんだん様子がおかしくなってくる。
遊郭に行って遊ぶ。田地田畑を借り受け高利で貸す。
当初は、「よく遊んでおられるなー」と噂される程度だったが、数ヶ月経っても討ち入りの意思を見せないため、評判は奈落落ち。しかし本人は気にしない。

ある日、遊郭から酔っぱらって帰って来た内蔵助は、一人の遊女を身受けする。
妻の『りく』に世話をするよう言い出した。
話しを聞いていた母が出てきて、仇討ちの考え言うように迫られるがのらりくらりとかわす。

「御主君様にはがっかりしました、吉良様には何の落ち度もありません。水谷の城の受け渡しを難渋したを知っているのに、ご自身が掛かる失態。
誠に情けない事にございます。お若いだの、ご気性が荒いだのでかたづけられるものではございません。ですから、私は亡き御主君の仇を討つつもりは毛頭ございません」

さらに、母が出した御主君の位牌を庭へ投げた。
さすがに堪忍袋の緒が切れたりくは、実家・石束家に帰る事を決意。
母と子供を連れて豊岡に行くことにした。

息子の主税は内蔵助の下に残り、大三郎・吉千代は豊岡へ。
内蔵助は石束家に手紙をしたため、足軽の寺坂吉右衛門にに託した。

駕籠に乗って進み小さくなる妻と母。
その様子を見て、主税は泣き崩れ、内蔵助は申し訳ないと謝るのであった。
内蔵助親子はこのあと江戸に下る事になる。

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