2021年6月13日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 12日目』をオンライン視聴。
今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
↑の写真は、赤坂・南部坂です。
演目
旭堂南龍 潮田又之丞(五)
旭堂小南陵 大石内蔵助(十二)『南部坂雪の別れ』
旭堂南舟 小林平八郎(三)
南龍さん・潮田又之丞(五)
潮田主水は、主人・古田織部に暇乞いをした。
織部に呼び出され、これまでの経緯を語った主水に面前で出家得度を行うよう命ずる。
儀式を果たした主水改め『巌水(がんすい)』は、殺めてしまった者たちの菩提を弔うため松坂城を離れ諸国流浪の旅に出た。
その途中、播州赤穂・荒川村に差し掛かった巌水は、とある不動堂で一泊をしようとする。
二、三丁行った先の百姓家で承諾を得て泊まる事になった。
家の主人は、「不動堂に泊った旅の者は翌朝顔が真っ青になり、三日後命を失ってしまう病にかかってしまう。狐狸妖怪のしわざかもしれない」と言う。
巌水は不動堂を掃除。そして経文を唱え横になった。
真夜中、不動堂に足音が近づいて来た。
目を凝らしても何も見えないが、人の気配は感じる。
表での方でお願いをしている女の声。
女はこの場所で男と逢引きをしているようだ。
しかし、中に入ってきて男と間違えられて手を握られる。
事情を説明したところ、女は笑い巌水の手に噛みついて来た。
しかし、そこは腕に覚えがある巌水。女を本堂の表にある岩に投げつけた。
岩にぶつかった『もの』は音を立てて倒れた。
「これが真の狐狸妖怪であれば、明くる朝には人の姿ではないはず。万が一これが人であれば、人を殺めた事になるから、丁重に弔った後諸国流浪の旅に出るまで」
巌水はこう割り切り寝てしまう。
翌朝。百姓家から様子を見に来た二人は、岩の前に大きな古狸を発見する。
喜んだ二人は、村の者で不動堂を普請し直すから逗留してもらいたいと依頼。
巌水は快諾し堂守になることとなった。
三年後。旅の虚無僧が三名訪ねてきた。
暖を取りたい言うので上げてしまったため…
小南陵さん・大石内蔵助(十二)
「関西にも義士伝はある」
個人的には、赤穂の人々なので大阪弁でも自然に聴けます。
共通語・江戸弁・大阪弁。どの言葉でも不自然にならなければいいわけで。
また、小南陵さんは時代によって変わる歴史的な見解も交えておられるので、非常にわかりやすいです。高座に説得力がありますね。
「瑤泉院様にご心配をおかけするわけにはいかん」
大石内蔵助は討ち入りの覚悟を胸にしまい、明日大坂へ出立する事を告げた。
話しを聞いた瑤泉院は内蔵助を冷たく突き放し返した。
帰ろうとしたところ、腹心の戸田局に引き留められた。
内蔵助は瑤泉院の部屋でおきた出来事を話す。
「どう考えても吉良殿に落ち度はない。それどころか、数多の者が赤穂に仕えておるのに、御短慮ゆえにこのような事になった。それを恨むという事はご公儀に反する。それ故に仇討ちは考えていない」
戸田局は、考えは人それぞれと納得。
しかし兄の『小野寺十内』は何をしてるのか?と疑問に思っていた。
内蔵助は、十内は倅の幸右衛門と一緒に三味や歌をして過ごしていると告げる。
そして、内蔵助は4,800両の為替と『旅日記』を戸田局に渡した。
最後に戸田局は「残念である。侍としての心が残っているのであれば、すぐさま腹掻っ捌き、冥途で我が君様に仕えてくれ」と、十内への伝言を託した。
屋敷を出た内蔵助と寺坂吉右衛門。
道を歩いているところ、反対から一人の酔っ払いが歩いて来る。
この男は内蔵助に鞘当てをして、悪態をついてきた。
男は内蔵助とわかっている様子。
「今日仇討ちするなら手伝う」と言うが、この男は吉良上野介の重臣・清水一学であった…
南舟さん・小林平八郎(三)
大高源吾と立ち合いをすることになった平八郎。
平八郎は二刀流、源吾は一刀。
片方で刀を受け止め、もう片方で攻める平八郎の戦略に、一刀の源吾は次第に追い詰められていく。
これを見た竹林唯七は、平八郎の耳元で叫ぶ。
大声に怯んだ平八郎は源吾に小手の一本を取られた。
「勝利の目の前だったが、そなたの声で勝ちを失ってしまいました。誠に残念至極」
と言う平八郎に、唯七はこう答える。
拙者の声で負けたと申しまするが、そちの二刀流というのは誠に厄介なものでございまするな。戦場に行けば槍玉は飛んでくる、歓声の嵐でございます。その中ではまったく勝負にならんということ。そなたの二刀流、誠に厄介なものでございますな
間違いがあっても負けは負け。
出世のチャンスを逃してしまった平八郎は、一層稽古に打ち込むようになる。
ある日、上杉家の家来・猿橋右門がやってきた。
猿橋は平八郎を見て、宮本武蔵の流儀を引き継いでいる武芸を推薦。
話を聞いた定席家老・千坂兵部(ちさかひょうぶ)は、平八郎を200石で上杉家に迎えた。
元禄14年3月14日、浅野内匠頭の刃傷事件が起こった。
千坂兵部から届いた手紙を見たところ、吉良上野介の守護を依頼された。
平八郎は悩んだが受諾することに。
元禄15年12月14日、赤穂浪士が討入り。
平八郎は堀部弥兵衛を退けたが、養子の堀部安兵衛が駆けつけてきた。
捨て身で挑んできた弥兵衛と立ち合い、疲れ切っていた平八郎は安兵衛に斬られるのであった。
コメント