第八回連続講談千鳥亭14日目6/15~人は二度死ぬ

2021年6月15日
此花千鳥亭で開催された『第八回連続講談千鳥亭 14日目』をオンライン視聴。

今回は『赤穂義士伝』がテーマ。
↑の写真は、両国・本所松坂町公園(旧吉良邸)にある『吉良上野介義央公座像』です。

演目

旭堂小南陵 神崎与五郎(一)
旭堂南舟  寺井玄渓(二)
旭堂南龍  潮田又之丞(七)

小南陵さん・神崎与五郎(一)

冒頭、一龍齋貞山先生とのお話が。
神崎与五郎の有名な読み物『神崎の東下り(詫び証文)』は、貞山先生より受け継がれたそうです。

神崎与五郎則休は、美作国津山藩・森家家臣の神崎光則の長男として生まれました。
元々森家に仕えていましたが、浪人の後、赤穂藩に仕えたそうです。

「堪忍のなる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍」
今回は、与五郎が少年時代のお話です。

赤穂藩・郡奉行の神崎家に、『与太郎』という子供がいた。
与太郎は父親の威光を自分の威光と勘違いして、傍若無人の数々。
父の与左衛門が手を焼き、家臣も放任してしまう。

ある日、川で釣りをしていた与太郎。
自分はまったく釣れないが、川上で釣りをしている少年は大漁のようだ。
少年は祖母の看病のため釣れた魚を売って日銭を稼いでいるという。

自分が釣れないのが面白くない与太郎は、中間を通し場所を交換するように指示。
話を聞いた少年は快く応じた。しかし、やっぱり魚は釣れない。
次第にエサがなくなってきた。

中間にエサを取りに行かせている間、与太郎は少年へ抗議に。
ここでも傍若無人を発揮して魚を強奪。そして竿も折っしまう。
与太郎はこの場所で釣りをするなと一喝すると、少年はしぶしぶ従った。

別の場所で釣りをすることはできるが、竿はない。
少年は、与太郎が持っている一番悪い竿をもらおうとしたが、我慢できない与太郎は脇差を抜いた。
怖がる少年を追いかける与太郎。

しかし、石につまずいてしまい脇差が腹に刺さってしまった。
瀕死の与太郎の脇差を抜いた少年。
鮮血が広がる中、このあとどうなってしまうのか!?

南舟さん・寺井玄渓(二)

カラオケが苦手と言う南舟さん。
私も得意ではないので、お話はよくわかるなーと思いながら聞いてました。

長崎での医学の修業を三年終えた玄渓。
名声はさらに上がり、玄達という子供も生まれる。
そのうちに主君の本多家が改易され、京都の今出川で町医者をしていた。

ある日のこと、萬屋嘉兵衛の妻が玄渓を訪ねてきた。
姑が風邪を引いたので、毒薬を調合してほしいと言う。
わけを聞いてみると、毎日姑にいびられているので、この際殺してしまいたいらしい。

「毒薬はご法度だが、特別に調合する。しかし、今日飲ませて明日死ぬということは、あなたも疑われる。毎食後必ず飲ませるように。一日も休んではならない。丁寧に、親切に飲ませるように。そのうちに毒が回るから」

玄渓はこのように言い聞かせ、毒薬を渡した。

その日から毎日のように親切丁寧に介抱する事で、姑の感情が変化して優しくなった。
そんな姑を、嫁は殺したくないと、玄渓の下へ駆けつける。

話しを聞いた玄渓。
実は毒薬として渡したのは『そば粉』だった。
優しくしようと思えばできる。親切にしようとすればできる。
これから仲良くするように。と、嫁姑の問題を解決。

萬屋嘉兵衛は、浅野家京都留守居役・小野寺十内と親しかった。
小野寺十内は嘉兵衛から聞いた話を浅野内匠頭へ謹言すると、召し抱えたい旨を伝えるよう指示。
十内から依頼を受けた玄渓は、浅野家に仕官することとなる…

南龍さん・潮田又之丞(七)

「人は二度死ぬ」
一度目は肉体による死。二度目は忘却による死。
歴史に残る偉人はずっと生き続けているのですね。

南龍さんは一龍齋貞山先生に、『徳利の別れ(赤垣源蔵)』を稽古してもらったそうです。
その稽古も独特だったそうで…(笑)

浅野長友は堀部弥兵衛と朝から野駆けをしていた。
しかし、長友が乗った馬が暴れ馬と化し、盲目の老人目掛けて走っていく。
ついに踏み殺してしまいそうなところ、息子の『吉助』が立ちはだかり止めた。

馬の捌き方、そして両親の看病に感心した長友は、吉助の家に行くと言う。
吉助は、母・うめの癪が出る時分と言うので、長友と自宅へ。
弥兵衛は、父・茂右衛門の手を引きゆっくり向かうことになる。

一方、吉助の家。うめが一人で不安な時を過ごしている。
そこに、旅の僧侶・上田昇雲が暖を取るため訪ねてきた。

二人は話をしていたが、うめの癪が出てしまった。
手持ちの丸薬で治療する昇雲。
癪はすぐに落ち着き、背中をさすっていたところ…

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