荒川区を歩く②~小塚原刑場跡

2023年2月12日
荒川区を引き続き歩いています。
今回は、南千住駅近辺へ向かいます。

豊国山 延命寺

手前にあるビルが寺務所です。

歴史

1982年(昭和57年)に開山された。これまでは千住回向院の境内の一部であった。明治時代、常磐線の敷設により南北に分断され、事実上飛地となっていたのを、分離して寺を創建した。

山号は千住回向院と同じ「豊国山」である。建物も回向院と同様に鉄筋コンクリート造である

wikipediaより

小塚原刑場について

 小塚原刑場は、火罪・磔・獄門などの刑罰、無縁の埋葬・供養、刀の試し切り、腑分け(解剖)などが行われ、また、徳川家の馬の埋葬地としても利用された。間口六十間余(約百八メートル)、奥行三十間余(約五十四メートル)の敷地があったが、明治初年に廃止となり、回向院の境内地や官有墓地、宅地などになっていった。

現地案内板より

境内の写真

小塚原の首切地蔵

 寛保元年(1741)に造立された延命地蔵菩薩。花崗岩製。台座に「願主 東都 浄心」、大坂西横堀住 石工 中村屋半六」、施主名の他、「奉納経 天下泰平 国土安穏」とあり、法華経の納経が行われた事が窺える。刑死者や行倒人等の無縁供養のため造られたといわれ、日光道中沿いにあったため、江戸に出入りする多くの人が、この地蔵の前で手を合わせたという。明治二十九年(1896)に開業した隅田川線の敷設予定地に安置されていたため、工事に伴い移された。平成二十三年三月十一日、東日本大震災で被災して、解体されていたが、荒川区及び公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団の補助を始め、多くの方々の支援を受け、同二十四年修復工事が完了した。

現地案内板より

題目塔

 元禄十一年(1698)二月十五日に京都三条の商人、八幡屋谷口氏と法春比丘尼により造立された題目塔。十七世紀後半、法華信者の谷口氏が全国の街道筋の仕事場などに、一切衆生の救済のために造立した。題目塔のひとつであり、品川の仕事場等100基以上が確認されている。

 十九世紀前半には土中に埋もれていたが、慶応三年(1867)、江戸の法華信者らによって再設置された。その際に小塚原の仕置場南端の日光道中沿いに移設し、小塚原の首切地蔵(区指定有形文化財)と並んで安置された。明治二十九年(1896)、土浦線・隅田川線開通時に線路の南側から現在地に移動した。近代以降、小塚原の仕置場跡を象徴する石造物として紹介され、広く知られるようになった。


現地案内板より

その他の写真

被災した時の首切地蔵と、境内の上を走っている日比谷線です。

御朱印

直書きです。
祈祷料は『お気持ちで』とのこと。300円収めてきました。

ご住職は江戸っ子ということで、
江戸弁をレクチャーいただきました。

小塚原(こつかはら)→こづかっぱら
秋葉原→あきばっぱら→アキバ
浅草→エンコ(公園六区から)

なるほど!
浅草の略称は初めて聞きましたが
『公園六区』というのは目から鱗で膝を打ちました。

アクセス

豊国山 延命寺

住所:〒116-0003 東京都荒川区南千住2丁目34−5

東京メトロ日比谷線・JR常磐線 南千住駅の駅前

コメント

タイトルとURLをコピーしました