2023年1月28日、29日
文京区にある『肥後細川庭園』と『永青文庫』に行ってきました。
今回は後編、永青(えいせい)文庫の企画展に伺います。
永青文庫

細川家と永青文庫
永青文庫は、今は遠き武蔵野の面影と止める目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。
細川家は室町幕府三管領の一つとして武門の誉高い家柄で、現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。代々文武両道にすぐれた細川家は、多くの戦功をあげて、3代忠利のとき肥後熊本54万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。
この家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究し、一般に公開しているのが永青文庫です。昭和25年、16代護立によって設立されました。その名称は始祖細川頼有以降8代の菩提寺である京都建仁寺塔頭永源庵の『永』と、初代藤孝の居城青龍寺城の『青』の二字をとって護立が名付けたものです。
昭和47年から一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり現在に至っています。因みに現在の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建造されたものです。所蔵品は護立と17代護貞から寄付をうけたものであり、毎年4つの会期にわけて公開展示しています。
永青文庫パンフレットより
揃い踏み 細川の名刀たち

永青文庫の設立者・細川護立(もりたつ)(1883 ~ 1970)は、禅僧の書画や近代絵画、東洋美術のみならず、稀代の刀剣コレクターとしても知られます。護立が刀の世界に本格的に足を踏み入れたのは、学習院中等学科在学中、肋膜炎にかかり休学していた十代の頃。細川侯爵家に「御刀掛(おかたながかり)」として出入りしていた肥後金工師の末裔・西垣四郎作(にしがきしろさく)や、刀剣愛好家でもあった細川家の家政所職員らとともに開いた研究会で刀剣の目利きを学び、審美眼を磨いていきました。
本展では国宝全4口をはじめ、「刀 銘 濃州関住兼定作(歌仙兼定)」など護立の眼によって集められた名刀を蒐集エピソードとともに展覧。あわせて、肥後金工の鐔など精緻な刀装具の世界も紹介します。
永青文庫特設ページより
出品一覧
下記URL参照
https://www.eiseibunko.com/images_exhibition/2022/2023EarlySpring_list.pdf
pick up
国宝4口は、『文化財オンライン』該当ページへのリンクを貼ってます。
(国宝)「刀 金象篏銘 光徳(花押)生駒讃岐守所持(生駒光忠)」

備前国長船の刀工・光忠の作。身幅が広く、やや寸のつまった猪首風の豪快な姿と、華やかな丁子乱の波紋を特徴としている。元々はさらに長い太刀であったが、磨り上げて刀に直された。刀剣鑑定で知られる本阿弥光徳が光忠の作と鑑定。
資料集より
「生駒讃岐守所持」といれられた金象篏銘から、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康に従った武将・生駒一正(1555~1610)が所持していたことがわかる。
(国宝)「太刀 迷 豊後国行平作(古今伝授の太刀)」

豊後国の刀工・行平の作。腰反りが高く、すらりと細身の優美な姿を呈し、直刃とよばれる直線的な刃文を基調としている。行平は刀身に彫刻を施した刀工として最も古く、本作にも、表に梵字と俱利伽羅、裏に梵字と不動明王思われる像が彫られている。
本作は細川家初代・幽斎(藤孝、1534~1619)ゆかりの太刀としても広く知られる。関ヶ原合戦の直前、家康率いる東軍に属した幽斎は、居城であった丹後国田辺城に籠城し西軍を迎え撃った。この戦で、古今和歌集の奥義の継承者であった幽斎を失うことを恐れた後陽成天皇が烏丸光広らを勅使として遣わし、講和が実現。細川勢は開城した。この太刀はその記念に幽斎が光広に贈ったもので、「古今伝授の太刀」とも呼ばれる。
資料集より
(国宝)「短刀 無名正宗(名物庖丁正宗)」

相模国鎌倉の刀工・正宗の作。長さに対して身幅が広く、形が庖丁に似ていることから「庖丁正宗」と呼ばれる。地と刃の沸(肉眼で捉えられる刃文を構成する細かい粒子)の美しさが際立ち、正宗の特徴がよく表れている。刀身の表には剣が、裏には梵字が彫られている。もと安土桃山時代の禅僧・安国寺恵瓊が所持し、後に忍藩の松平家に伝わり、明治時代には伊東巳代治が所有していた。
(国宝)「短刀 銘 則重(日本一則重)」

越中国婦負郡の刀工・則重の作。則重は相模国の新藤五国光の弟子で、正宗とは同門。短刀に優れた作が多く、本作は則重のなかでも最高作と評価されているものである。やや細みで切先はふくらみを抑えた鋭い姿をし、刃文をは沸が強く変化に富んでおり、則重の特色がよく表れている。
資料集より
「刀 銘 濃州関住兼定作(歌仙兼定)」

美濃国の刀工・和泉守兼定(茎に刻まれた「定」の字が「ウ冠に之」であることから「のさだ」と通称される)の作。反りが先の方につき、片手で振るいやすいように茎と刀身の寸法が短めになっている。概ね小板目(刀身の表面にあらわれる模様の種類)を主体とした綺麗な地鉄で、刃が明るくさえているところに兼定の技量の高さが表れている。刃文は手元に近い部分が大きく波打ち(のたれ)、その上は直線的な直刃となる。
本作は、「歌仙兼定」の名でも知られている。細川家二代・忠興(三斎、1563~1645)が息子の忠利に家督を譲り隠居していた頃、忠利の施政が忠興の意にそぐわず、忠利の側近を呼んでこの刀で三十六人も成敗したことから、三十六歌仙になぞらえて付けられたというが、史実かどうか定かではない。
資料集より
アクセス
住所:東京都文京区目白台1丁目1−1
都電荒川線 早稲田駅より徒歩10分
東京メトロ東西線 早稲田駅より徒歩15分
東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅より徒歩15分
コメント