深谷を走る①~深谷上杉氏の菩提寺・国済寺

2022年10月2日
埼玉県深谷市へ行って参りました。
今回もレンタサイクルで広範囲を周ります。

常興山 国済寺

臨済宗の南禅寺派です。

開創は620年ほど前の、1390年8月2日。

深谷上杉氏の祖・上杉憲英(のりふさ)公が、館であります廰鼻和(こばなわ)城内に禅宇を建立し、峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師を開山に招いて開創されました。

国済寺の名前は、「安国済民(国を安んじ、民を済度する)」に由来し、爾来、開山禅師の枯淡な宗風とともに、地域の信仰の場として受け継がれてきました。

江戸時代に入って再度の火災により伽藍の消失に遇いましたが、現在に遺されています土塁と築庭跡などの廰鼻和(こばなわ)城址と上杉憲英公墓は県指定遺跡に、また開山峻翁令山(しゅんのうれいざん)禅師木像は県指定文化財、黒門・三門・上杉氏歴代墓・法灯国師木像などが市指定文化財になっています。

国済寺ホームページより

境内の写真

黒門

三門

本堂

屋根にも深谷上杉(山内上杉)の家紋
『竹に二羽飛び雀』が見えますね!

円通閣?

上杉憲英の墓

南北朝・室町時代前期の武将。
父は山内上杉憲顕。

庁鼻和に築城して庁鼻和上杉氏(深谷上杉氏)の祖となった。
明徳1年(1390年)城内に国済寺を創建。

深谷市ホームページより

その他境内の写真

一枚目は利生塔と鐘楼、二枚目は菩提樹です。

庁鼻和城

 庁鼻和城は関東管領・山内上杉憲顕(のりあき)の6男である上杉蔵人憲英(のりふさ)により、新田義貞の子・新田義宗に対抗するために築かれた城です。山内上杉氏の分家・庁鼻和上杉氏(のちの深谷上杉氏)の居城として使われましたが、1456年(康正2年)、上杉憲房が深谷城を築いて本拠を移したことに伴い廃城となったと思われます。現在城址は憲英によって創建された国済寺の境内となっており、歴代当主の墓があります。入口には「庁鼻和城舊里之碑」と書かれた城址碑が建てられています。

攻城団ホームページより

土塁・築庭跡

土塁の保存状態はとても良いです。

アクセス

国済寺/庁鼻和城跡

埼玉県深谷市国済寺521

JR深谷駅下車 徒歩30分程度

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