深谷を走る②~深谷城の跡

2022年10月2日
埼玉県深谷市に行って参りました。
引き続き自転車を漕いで周ります。

深谷城址公園

 深谷城は、唐沢川、福川などにかこまれた低湿地に築かれた平城である。
 室町時代中期の康正こうしょう2年(1456)、深谷上杉房憲ふさのりが、古河公方こがくぼうの侵攻に備えて、築城したと伝えられる。
 土塁や深いほりを巡らした城は、面積約20ヘクタール、その形から木瓜ぼけ城とも呼ばれた。

 天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻めによって開城するまで、憲清のりきよ憲賢のりかた憲盛のりもり氏憲うじのりと、134年間にわたり、戦国時代の北武蔵における上杉方の支城であった。
 徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣の居城であったが、寛永11年(1634)、廃城となった。

 現在は、深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間ふじせんげん神社(智形ちがた神社)の社殿を巡る水路に、往時の姿をとどめるのみである

現地案内板より

現地の写真

模擬石垣・塀・堀

遺構の多くは埋没してしまっており
こちらは模擬になるそうです。

公園内

青々とした芝生が広がっています。
当日は天気も良かったので気持ちよかったです。

富士浅間神社(智形神社)

 この柱の祭神は木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと瓊々杵尊ににきのみことで、社宝は宗源祝詞である。
 明治以前には智形神社と呼ばれ、深谷城内に鎮守としてまつられた五社の一つで永享十二年(1440年)勧請と伝えられている。江戸時代、寛永年間深谷城主酒井讃岐守が再興した。

※深谷城の案内板と内容が同一の為、以下割愛

現地案内板より

境内の写真

深谷城外濠

あまり保存状態はよくないようですが
外濠が残っている事はしっかり確認できます

みかんの花咲く丘・加藤省吾顕彰碑

静岡県富士市出身の作詞家・加藤省吾さんは
昭和二十五年5月、当時の深谷町本住町に疎開しました。

『みかんの花咲く丘』は疎開先の深谷で誕生。
戦後の混乱時に、『リンゴの歌』とともに人々に希望を与え
多くの日本人の琴線に訴えかけた名曲です。

その他境内の写真

アクセス

深谷城址公園/富士浅間神社

住所:埼玉県深谷市本住町17

JR深谷駅からバス もしくは徒歩15分程度

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