2022年10月2日
深谷市を自転車で走っています。
今回は、深谷市といえば!の人物に迫ります。
渋沢栄一記念館

渋沢栄一は近代日本経済の父とも呼ばれ、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)や帝国ホテル、東京瓦斯(現在の東京ガス)、東京海上保険(現在の東京海上日動)など、一度は耳にしたことがあるであろう多くの企業の設立に関わり、その数はなんと500余りと言われています。また商法講習所(現在の一橋大学)や博愛社(現在の日本赤十字社)など600余りの教育・福祉や社会公共事業の支援を行うなど、数々の功績を残しました。
この記念館は平成7年11月11日(栄一翁の祥月命日)に開館され、栄一の遺墨や写真など資料のほか、本人の肉声を聞くことができる展示があります。
2024年からの新一万円札の顏として、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として、いま大注目の渋沢栄一について詳しく知ることができます。
埼玉県ホームページより
内部の写真
渋沢栄一アンドロイド




館内では、渋沢先生の講義を受けることができました。
講義内容はこちら→渋沢先生講義
※事前予約必須
音声はほぼ肉声です。
(波長が似ている声優さんに話してもらいデジタル加工しているそうです)
渋沢栄一翁像

澁澤栄一翁
本像はもと渋谷駅頭にありき
昭和六十三年三月、有志千五百余名の浄財をもとに駅前区画整理事業の完成と翁の顕彰を記念して建立せしものなり。平成七年十月、翁、生誕八基の地に渋沢栄一記念館の落成に伴い、ここに遷座し奉る。
この地や園日に渉り以て趣を成すの如く大いなる発展をとげしも、刀水は悠遠にして、翁、在世の昔も今の如し上毛の三山の遠望も又、今も昔もなし。
翁没して六十五年、翁の像が故山の風物を眺めて起つはまた美しき哉
大きいですね!
4~5メートルはあったでしょうか。
北側を向いているのは何か意味があるのかな?
その他の写真


体育館には2021年の大河ドラマ『青天を衝け』関連の
資料が多数展示されてました。
また、渋沢栄一の資料映像も公開されてます。
二枚目は、富岡製糸場の設立に深くかかわった
深谷出身の三名(渋沢栄一・尾高惇忠・韮塚直次郎)のレリーフです。
アクセス
住所:埼玉県深谷市下手計1204
JR深谷駅よりバス『渋沢栄一記念館』停留所
旧渋沢邸『中の家』

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物です。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。
渋沢家の住宅として使われていましたが、昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され多くの外国人留学生が学びました。平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属しました。
県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。
深谷市ホームページより
現地の写真
副屋・土蔵






渋沢栄一の家族に関する三石碑



栄一の母・えいの招魂碑
栄一の父・市郎左衛門の招魂碑
栄一の養子・(尾高)平九郎の追懐碑です。
平九郎については、下記の記事もどうぞ。
主屋


何と、工事中…_| ̄|○
来年6月頃まで耐震工事をしているそうです。
工事完了後は内部に入ることができ、
渋沢栄一80歳のアンドロイド(記念館は70歳の栄一)が
案内をしてくれるとの事でした。
渋沢栄一(青年時代)の銅像

壮年時代の栄一の銅像は、東京都板橋区・北区でも確認できますが
青年時代の銅像はあまり見かけないですね。
もしかして、ここだけでしょうか。
アクセス
住所:埼玉県深谷市血洗島247−1
JR深谷駅よりバス『渋沢栄一記念館』下車 約900m
血洗島諏訪神社

血洗島の鎮守社で、古来より武将の崇敬が熱く、源平時代に岡部六弥太忠澄は戦勝を祈願したといわれ、また、江戸時代に領主安部摂津守も参拝したと伝えられている。
大正5年(1916)に渋沢栄一の喜寿を記念して村民により建てられた渋沢青淵翁喜寿碑が境内に残る。神社の拝殿は栄一がこれに応えて造営寄進したものである。
栄一は帰郷の際、まずこの社に参詣した。
現地案内板より
そして、少年時代に自ら舞った獅子舞を秋の祭礼時に鑑賞することを楽しみにしていた。
境内には栄一手植えの月桂樹があった。また、長女穂積歌子が父、栄一のために植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
境内の写真
渋沢親子遺徳顕彰碑・青淵翁喜寿記念碑


参道



社額はもちろん渋沢栄一の揮毫です。
諏訪神社修繕記念碑・拝殿建立100年記念


本殿



アクセス
住所:埼玉県深谷市血洗島117
旧渋沢邸「中の家」より徒歩300m程度
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