行田を歩く①~『不落の浮き城』忍城

2022年3月31日
埼玉県行田市を歩いてきました。
行田の史跡と言えば…!!

忍城址

『おしじょう』と読みます。
続日本100名城(No.118)に選ばれています。
近年は、和田竜さんの小説『のぼうの城』で脚光を浴びました。

由来

 忍城は文明十(1468)年頃、成田顕泰あきやすにより築城された『守りやすく攻めにくい』難攻不落の名城であったと伝えらえている。

 天正十八(1590)年、豊臣秀吉の関東平定の中で行われた石田三成による忍城城攻めにも耐え、この城は水に浮くのかと恐れられ『忍の浮城うきしろ』とも称されたという。

 寛永十六(1639)年、時の老中阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手、孫の正武まさたけの代にいたり忍城御三階櫓の建設城門土塀の修築などが完成し面目を一新したという。

 文政六(1823)伊勢の桑名から松平忠堯ただたかが移封し、忠誠ただざねのとき明治維新を迎えた。
 市では維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し永く後世に伝える事になった。

現地案内板より

城址の写真

浮き城の径

冠木門

忍城の鐘

高麗門

模擬御三階櫓

 かつて御三階櫓は、現在の水城公園の付近に建っていましたが、忍城の解体にともない破却されました。現在、忍城址に再建された御三階櫓には、郷土博物館の渡り廊下から入ることができ、内部は「忍城と城下町」「近代・現代の行田」を紹介する展示室となっています。

行田市郷土博物館のパンフレットより

忍城櫓の石垣

 城内にあった櫓に使用された石垣。
 元禄15(1702)年に三階櫓一棟、二階櫓二棟が建てられたが、明治六(1873)年の廃城により解体された。

現地案内板より

本丸跡

 下野唐沢山、宇都宮、太田金山、佐竹の太田山、厩橋、川越、忍を関東七名城と古くからいわれ、その忍城の中郭が御本丸であったが、天守閣はなく、昼ならお暗い木立で諏訪曲輪、二の丸、井戸曲輪に二重、三重にかこまれたいた。

現地の石碑より

本丸土塁

 本丸西側を囲む土塁。旧状をよく残す南に二の丸、西に土蔵曲輪と橋で結ばれていた。

現地案内板より

伝修進館表門

 この門は、行田市城西の旧芳川家表門を移築・復元したもので、かつての藩校「進修館」の表門であったと伝えられている門です。

 一間一戸、高麗門、切妻造、桟瓦葺で、当初は赤彩された赤門であった可能性も指摘されています。また、解体時に発見された冠木柄表面の墨書銘から、天保三(1832)年に御奉行後藤五八、大工町世話方大工栄兵衛等によって建立されたことが判明しています。

 戦災によって一度移築されている事ことなどから、藩校「進修館」の門であるのかは確定していませんが、現存する行田市唯一の武家屋敷の表門として貴重な歴史的建造物であると言えます。

現地案内板より

勘定処跡・成田御門跡・太鼓門跡の石碑

水城公園

水城公園は、埼玉県行田市にある昭和39年4月に開園した埼玉県内でも有数の歴史のある公園です。関東七名城のひとつに数えられていた「忍城」の外堀跡を利用して、中国江南地方の水郷式造園の手法を取り入れた水郷公園として整備されました。

さいたまなび』より
公園内の写真
三重櫓跡・隠居所跡

アクセス

忍城跡

秩父鉄道 行田市駅より徒歩15分
JR行田市駅より市内循環バスあり

※水城公園は、忍城跡より徒歩5分程度

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