平井から亀戸を歩く①~満開の河津桜!

2022年3月13日
江戸川区平井駅→江東区亀戸駅周辺を散歩してきました。
今回の目的は、河津桜・梅の写真撮影です。

こちらは前編になります。
後編は↓より。

旧中川 河津桜並木

歴史

江戸時代以前の中川(現在の旧中川)は、古利根川を上流として途中で元荒川と合流し、水元、新宿、奥戸、平井を通って、綾瀬川、堅川、小名木川と通じながら江戸川に注いでいました。

江戸時代から8代将軍吉宗が、村を水害から守るため、1725(享保10)年から14年間かけて散在していた沼や池を利用して一個の流れを作りました。
これが理由で九十九曲りと呼ばれる屈曲激しい川になったと考えられています。

「中川」と呼ばれるきっかけになったのは、江戸川と隅田川の間を流れているからだと言われています。

タキザワ住販ホームページより

写真

スカイツリーがバックにあると、写真が映えますね!

対岸からの写真

アクセス

旧中川 河津桜並木

JR平井駅 徒歩15分

亀戸香取神社

御由緒

 当神社は天智天皇4年(665)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公が東国下向の際、この「亀の島」に船を寄せ、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。

 天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使・俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)が、当神社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので、神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。

 以来、ますます民の崇敬があつく「郷土の守護神」というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、「葛飾神社香取太神宮(かつしかじんじゃかとりだいじんぐう)」と称え奉るに至りました。元禄10年の検地では、徳川家の社寺帳にも載せられ、古都古跡12社の中にも数えられています。

亀戸香取神社ホームページより

スポーツ振興の神

 歴代の天皇をはじめ源頼朝、徳川家康などの武将達、また剣豪・塚原卜伝(ぼくでん)、千葉周作をはじめとする多くの武道家達の篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていました。

このような由来から、亀戸 香取神社は「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げています。

亀戸香取神社ホームページより

境内の写真

参道

手水舎

拝殿/神楽殿

ロケをやっていたようですが、マスクでどなたかがわかりませんでした。

境内社

左から
・天祖神社
・稲足神社
・恵比寿神/大國神
・水神社/三峯神社/熊野神社

亀が井戸

亀が井の由来

 亀戸を代表する香取神社は、壱千三百有余年の歴史を誇り、古くは藤原鎌足公を初め多くの武将や土着の人々の篤い尊敬を受け郷土の守護神として今日に至っております。

 この度、亀戸の地名の起こりとされている亀が井戸を再興し、併せて恵比須様・大黒様の石像を祀り、この井戸の聖水を掛けながら参詣する人々が御神徳を戴き明るく健康で生活が出来ますようにと願い、氏子・尊敬者を初め多くの皆様方の協賛により建立いたしました。

現地案内板より

 

亀戸大根の碑

このあたりで大根づくりが始まったのは、記録によると文久年間(1861~64)の頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治にかけて盛んに栽培されてきました。

 当地は荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であったため、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根づくりに大変適していました。

 亀戸大根は、根が30㎝程度の短い大根で、先がクサビ状にとがっているのが特長。
 明治の頃は「おかめ大根」とか「お多福大根」と言われてましたが、大正初期になって産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。しかし、宅地化が進んで大正時代の終わり頃から産地は江戸川区小岩や葛飾区高砂などに移っていきました。

 秋から冬にかけてタネをまいて早春に収穫となる亀戸大根は、当時は他に大根などの全くない時期で、新鮮な野菜の出初めの頃なので根も葉も共に浅漬けにして美味しい事から、江戸っ子から大いに重宝がられました。

現地案内板より

勝石

御朱印

直書きを拝受しました。
初穂料は500円。

アクセス

亀戸香取神社

JR亀戸駅 徒歩5分

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