平井から亀戸を歩く②~梅とスカイツリーと

2022年3月13日
JR平井駅→亀戸駅周辺を散歩してきました。
こちらは後編になります。前編は↓より

亀戸天神社(亀戸天満宮)

湯島天満宮・平河天満宮に続く、江戸三大天満宮の一つです。
※亀戸は江戸の外なので、代わりに五條天神社が入る場合もあります。

御由緒

 菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。

 古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

 正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。

 当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。

 そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。

亀戸天神社ホームページより

境内の写真

梅の写真

いずれも満開でした!

参道

五歳の菅公(菅原道真)

 昭和五十二年の御神忌1,075年大祭記念として奉納される。
 台座に道真公の五歳の時庭前の紅梅を詠まれた和歌を刻す。

 美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくそある

現地案内板より

手水舎

拝殿/本殿

満開の梅とスカイツリーが映えますね!

社務所/神楽殿

御神牛

 菅原道真公と牛との御神縁は殊の外深く、古来より信仰されて来ました。

 道真公は、承和十二年(845)『乙丑の都市』六月二十五日にお生まれになり、大宰府の配所でお亡くなりになった際、ご遺体を乗せた車を引く黒牛が臥して動かなくなり、これは道真公の御心による事としてその場墓所と定め、社殿が建立されたのが太宰府天満宮の起源とされています。
 また、道真公が京都から大宰府へ下向の途中、白牛によって危難から救われたという故事も伝えられています。

 この神牛の座標は昭和三十六年、御鎮座三百年祭にあたり御社殿の地復興とともに奉納されたものです。

現地案内板より

境内社

御嶽神社

 菅公の数学上の師、延暦寺第十三代座主法性坊尊意僧正を祀る。今なお「卯の神」として知られ、正月初卯、二の卯、三の卯には江戸時代から伝わる卯槌や卯の神札が授与されて火防、雷除、商業繁栄、開運を祈る人々でにぎわいます。

頒布資料より
花園社

 菅公奥方および御子十四方を祀る。寛文年間、筑前(福岡県)花園の地より勧請されたもの。安産、子宝・立身出世の守護神として広く信仰されています。先の戦災で鳥卯に帰しましたが、昭和四十七年心字池の畔に再興されました。

頒布資料より
弁天社

 寛文五年(1665)太宰府天満宮心字池畔の志賀社を勧請したもの。時代の移り変わりとともに七福神のひとつである弁才天として信仰され、福徳福智を増し、開運出世芸能成就の神として知られています。

頒布資料より
紅梅殿

御本殿として時を同じくして寛文二年(1662)に太宰府天満宮の御神木「飛梅」の実生を勧請し社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和六十三年に現在地に再建されました

頒布資料より

聖廟九百年御忌句碑/歌川豊国の碑

御朱印

書置きを拝受しました。
初穂料500円。

アクセス

亀戸天神社

JR亀戸駅 徒歩5分

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