生田緑地周辺を歩く②~枡形城ゆかりの寺院

2022年2月5日
生田緑地周辺を歩いてきました。
こちらは後編で、枡形城ゆかりのお寺をまわってます。

標題の写真は、小田急線向ヶ丘遊園駅前にあるドラえもんの銅像です。
前編はこちら↓

法言山 安立寺

日蓮宗の寺院です。
「みのもんた」こと御法川法男さんが檀家で、寄贈された灯篭があります。

歴史

 鎌倉時代初期、源頼朝から稲毛領を拝領した稲毛重成は枡形山頂に枡形城を築き居城とした。その際、重臣・佐伯民部吉春は枡形山の隣山一帯を与えられて居館を構え、邸内に持仏堂たる釈迦堂を建立した。寺伝では‟飯室の釈迦堂”と呼ばれたこの持仏堂を以ってその淵源としている。

 時が下り弘治2年(1556年)、佐伯隼人吉行が長興山妙本寺並びに長栄山本門寺第11世・佛壽院日現の教化によって法華宗に改宗し、釈迦堂を法華信仰の道場とした。その際、妙典院日玩という僧が院代として遣わされたと推察されている

 その後、天正6年(1578年)10月13日に佐伯六左衛門吉連が釈迦堂を改めて伽藍と成し、摩訶院日等を開山に迎えて淨言山安立寺と称した。なお、山号は元禄4年(1691年)以降に淨言山から法言山に改められている。

wikipediaより

境内の写真

4枚目がみのもんたさん寄贈の灯篭です。

本堂

庚申堂

主尊は帝釈天で、江戸時代から『登戸の帝釈天』として親しまれていたそうです。

長森稲荷社

飛び地(徒歩5分程度)にある神社です。
安立寺が長森稲荷社の別當寺となり、歴代住持が別當職を兼務しています。

御首題

ご住職不在のため、書置きを拝受しました(300円)
お話によると歴史マニアとのことなので、次回訪問時に語り合いたいと思います(笑)

アクセス

法言山 安立寺

小田急小田原線 向ヶ丘遊園駅より徒歩10分

稲毛山 広福寺

真言宗の寺院です。
枡形城を築城した、 稲毛三郎重成の墓と伝えられる供養塔があります。

御縁起

 広福寺は平安時代仁明天皇承和4年(837)の開山で、開基は狛江郷の刑部広主(広福長者)の妻真刀自が主人の供養の為、建てた広福の寺に創る(日本後記承和11年記)鎌倉時代は稲毛庄(川崎市中原区以北稲城市多摩一帯)を支配した、武蔵最強の秩父一族の稲毛三郎重成が領主として寺は稲毛氏の館となる。妻は北条時政の娘で将軍頼朝の妻正子の実妹で頼朝の重臣であった。

 建久6年(1195)7月4日妻が病死一室円如大禅定尼、重成は悲しみに人道し邸内広福寺を氏寺とし長辯阿闍梨を請じ寺を中興する。三回忌の建久9年(1198)12月28日亡妻供養に相模川に架橋馬人橋を架け供養した。頼朝はこのとき落馬して翌年死亡した。
 その後、秩父一族畠山氏、稲毛氏は北條氏の陰謀により元久2年(1205)6月に滅亡した。

 永正元年(1504)9月両上杉の抗争(立川戦)に扇谷上杉朝定の援軍として、今川氏親・北條早雲(伊勢宗瑞)の援軍が広福寺に座陣した。
 永禄12年(1569)6月には武田信玄に攻撃された檀徒、菅生郷領主横山式部少輔弘成により防戦した。

 (中略)宗旨は真言宗、稲毛氏の父の寺町田大山田大泉寺元高昌寺も本家畠山氏の寺、埼玉大里郡川本町万福寺も真言宗である。

頒布資料より

境内の写真

稲毛三郎重成の墓

横山式部少輔弘成の墓

御朱印

とても優しいご住職に直書き頂きました(300円)
ご住職が子供のころの枡形山のお話も伺え、とても勉強に。
現在は整備されてますが、昔は頂上から多摩川を一望できたそうです。

アクセス

稲毛山 広福寺

小田急小田原線 向ヶ丘遊園駅より徒歩15分

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