板橋区を走る①~怪談乳房榎と松月院

2022年6月11日
地元・板橋区を自転車で走ってきました。
板橋区にも歴史的な場所がありますので、紹介して参ります。

松月院

正式名称は『萬吉山 宝持寺』で、曹洞宗の寺院です。
松月院は通称ですが、こちらの方が有名ですね。
幼稚園を併設してます。

沿革

 鎌倉時代から室町時代にわたり、現在の千葉県を中心として上総・下総一帯に威勢をほこった平氏の末流千葉市の当主・中務入道了心が志摩城(千葉県香取郡多古町)で討死し、その遺児兄弟を関東管領上杉氏が援けて武蔵国に移し、弟自胤を赤塚城に入城させたのは康正二年(1456)のことである。

 自胤はここを本拠とし勢力を挽回し、この地を己が墓所と定めた、赤塚入城より三十数年後の延徳四年(1492)正月、城下の宝持寺の赤塚千葉氏一族の菩提寺とし、寺領を寄進し堂宇を造営して寺号を松月院と改め自ら中興開基となったのである。

 徳川家康が江戸に移った翌天正十九年(1591)松月院に四十石の御朱印地を寄進し、以後歴代将軍これを踏襲して篤くひ護されるまでとなった。この篤い尊信も千葉氏の帰依に起因したものであろう。
 松月院寺紋には月星が用いられているが、千葉氏が皇統のため家紋を天体にもとめたものといわれる。

 さらに江戸時代にこの寺を一層有名にしたものは天保十二年五月、兵学者高島秋帆が徳丸ヶ原に於て我国で初めて外国の砲術を披露した時、党員が本陣をつとめたことである。この日の演習が後の日本陸軍創設の原因となった。

 所在地赤塚の地名は当院境内の一小丘が、その昔古墳らしく、この荒塚から名付けられたものと伝えられている。
 他に怪談『乳房榎』も当院及び当地がモデルといわれている。

配布資料より抜粋

MAP

境内の写真

山門

参道

ヒイラギの木

 松月院のヒイラギは、上部の樹冠の葉は丸く、下部の若い枝の葉は尖った鋸歯を持っている。このような説話の葉の特徴を備えた古木は区内には珍しい。

現地案内板より抜粋

中雀門

本堂

高島秋帆紀功碑

 この紀功碑は、別名火枝中興洋兵開祖碑とも呼ばれ、ここ松月院に本陣を置き、徳丸原で日本最初の本格的な西洋式砲術を指揮した、高島秋帆を顕彰する目的で大正十一年十二月六日に建立された記念碑である。

 高島秋帆は、寛政十年長崎町年寄の名家に生まれ、長じて出島のオランダ人より西洋の砲術を学んだ。天保十一年、中国清国と英国との間で阿片戦争が勃発し、西洋の進んだ軍事技術に清国が大敗すると、その危惧が日本に及ぶことを恐れた高島秋帆は、天保上書を幕府に上申、日本の従来からの砲術技術の変革を唱え、西洋列強諸国に対する防備の一環としての西洋式軍事技術の導入を説いた。

 天保十二年五月七日~九日までの三日間、高島秋帆は赤塚の朱印寺として名高い松月院に本陣を置き、門弟100名と起居を共にしながら、現在の高島平、徳丸原にて洋式砲術調練を公開し、世にその名声を得たが、間もなく讒言にあい永牢に繋がれた。

 嘉永六年夏、十一年に及ぶ幽閉を解かれた高島秋帆は、江戸幕府の肝いりで講武所を開設し、支配及び師範に出仕し幕府あるいは諸藩の西洋式軍事技術普及に貢献した。慶応二年正月江戸小石川にて六十九歳の生涯を閉じた。日本陸軍創設者の一人として名高い。

現地案内板より

豊川閣

松宝閣(寺宝館)

千葉氏墓所

 松月院は、康正二年(1456)に下総国に敗れ、市川城から武蔵国の赤塚城・石浜城へと移った千葉氏一族の菩提寺です。また、この墓も同一族を弔ったものと伝えられています。

 当墓については、文化九年(1812)に斎藤幸孝が著した『赤塚紀行』に挿画そうが入りで記されるなど、当時から広く知られていました。

 向かって中央右側にあるものが千葉介自秀の墓とされ、松月院殿南州玄参大禅定門の法名と、永正三年(1506)六月二十三日の忌日が刻まれています。この墓碑については、すでに江戸時代の段階で構成に造立されたものと指摘されています。また、松月院ではこれを開基檀越かいきだんおつである千葉自胤の墓碑としており、文化・文政期(十九世紀前半)に成稿した地誌、『新編武蔵風土記稿』でも墓銘にある自秀は自胤を誤記したものとしています。

 左側には比丘尼びくに了雲の宝篋印塔ほうきょういんとうがあります。『赤塚紀行』ではこれを自秀室の墓としていますが、時代的にはそれ以前の、元徳元年(1329)の年号が刻まれています。これは、区内最古の墓碑であり、境内の発掘調査成果と合わせて、武蔵千葉氏が当地に移る以前の段階で、当所に寺院が存在していたことを証明する貴重な資料となっています。

現地案内板より

乳房の榎

松月院は、三遊亭円朝作『怪談乳房榎』クライマックスの舞台。
菱川重信の中間・正介が門番に扮して真与太郎を匿い、仇の磯貝浪江を討つ場所です。

御朱印

とても優しいご住職さんに快く対応いただきました。
砲台の御朱印がカッコいいですね!
直書き祈祷料300円。

アクセス

松月院

東武東上線     成増駅/下赤塚駅
東京メトロ副都心線 地下鉄成増駅/地下鉄赤塚駅 いずれも徒歩20分
成増駅北口より赤羽駅西口行きバス 『赤塚八丁目』停留所下車

赤塚諏訪神社のこぶけやき

 この木は別名『乳の木様』と呼ばれていますが、これは、木のこぶを乳房にたとえて、母親が乳の出がよくなることを祈願する民間信仰が赤塚地蔵にあったことによります。

 また、幕末から明治期にかけて活躍した落語家三遊亭円朝の、『怪談乳房榎』のモデルの一つといわれています。

現地案内板より抜粋

アクセス

赤塚諏訪神社のこぶけやき

松月院より徒歩5分程度

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