神田松鯉独演会8/1~人間国宝の高座をたっぷり!

2020年8月1日
板橋区文化会館にて開催の「神田松鯉独演会」に行って参りました。
4月11日開催予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期。

奇しくも前日7月31日の愛山先生と合わせて、二日続きで重鎮の講談を聴けました。

真夏の開催、そして梅雨明け当日とあり怪談が一席!
今日も素晴らしい高座でした!

演目

神田鯉花 笹野名槍伝~海賊退治
神田松鯉 水戸黄門記~出世の高松
仲入り
神田松鯉 大岡政談・村井長庵~雨夜の裏田圃

鯉花さん・海賊退治

「弟子はもう取らない」と表明している松鯉先生。
鯉花さんはおそらく最後の弟子になると思います。

一時期体調不良によりお休みをされていたのですが、
無事高座を勤めている姿を見て安心しました。

鯉花さんは舌足らずなところがあるのですが、
逆にそれが印象に残るので大きな武器になると思います(´▽`)

松鯉先生・出世の高松

板橋区在住の松鯉先生は、開口一番「近場は交通費が安くていい」
松鯉先生は講談師になって今年で50年。
その前に俳優を経験されておりますので、芸歴は60年になるそうです。

まくらでは「三方ヶ原軍記」のさわりを。
松鯉先生の三方ヶ原はかなり貴重ですね!

水戸家開祖頼房公は18歳の時二条城の学問所に入りました。
その際身の回りをしていた「おしま」という絶世の美女にお戯れ。

おしまは身籠りましたが、頼房公がまだ公にできない身なので宿下がりします。
実家に帰りましたが、二親は流行り病で間もなく亡くなってしまいました。
叔父の宗右衛門夫妻がおしまを世話することになります。

しかし、おしまも元気な男の子「寅松」を生んですぐに亡くなってしまいました。
この寅松は後の頼重公です。紆余曲折あり頼房公は子供であると認めましたが、弟の光圀公がすでに水戸藩の跡取りと決まっていたので跡取りになれませんでした。

頼重公は高松12万石の藩主となります。

光圀公はこれが不服だったので、
光圀公の息子を高松へ養子に(後の頼常)
頼重公の息子を水戸へ養子に(後の綱條)と、息子を交換。

水戸黄門漫遊記で有名な光圀公ですが、こんな離れ業もやっていたのですね!
松鯉先生の重厚な語り口がとても気持ち良かったです。

松鯉先生・雨夜の裏田圃

「夏なので、後席は怪談と言う事になっております」
この一言で胸が躍ります。

怪談は演者が祟られることがあるので、毎年お参りに行くそうです。
客席は祟られて事がないのですが、ある時自分の高座の時間に席を立ったお客さんが…(;’∀’)

タケノコ(籔の前)医者の村井長庵。稀代の悪でございます。
この男は姪のお小夜を吉原の松葉屋に売り飛ばしました。
ある日、お小夜の母親である「お登勢」が半狂乱でやってきて長庵の家で寝込んでいます。

長庵は弟分の三次を使ってお登勢を殺害しようと計画。
松葉屋の若い者として、三次がお登勢を吉原へ連れて行くと見せかけて吉原田圃にてお登勢を殺害します。

「勘弁してくれ!俺が悪かった!」
その後、三次はお登勢の亡霊に悩まされる事となります。

松鯉先生の怪談興行は毎年末広亭・浅草演芸ホールで合計15日間開催されているのですが、今年はコロナの影響もあり足を運ぶことができませんでした。
肩を落としていたところに今日の怪談一席は嬉しかったなあ。

まとめ

講談を聴き始めてからはまだ浅いですが、
松鯉先生の高座を生で観られることは貴重な経験です。

以前怪談をする際の演出として仰っていた、「舞台を暗転しての照明演出」という松鯉先生のお家芸を初めて観る事ができて嬉しかったです。

全国を飛び回っておられる松鯉先生ですが、今後地元での高座も今後増やしてもらえるといいなあと感じました。

次回板橋区文化会館での松鯉先生公演情報です。
11月14日14:00~「人間国宝 神田松鯉を祝う会」(8月11日発売)
出演は他に、白鳥さん・兼好さん・菊之丞さんです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました