2022年9月24日
浅草・浅草見番に行って参りました。
当日の公演は、『第3回神田松鯉このネタを聴きたい』
前回に引き続き木積さんよりご招待いただきました。
本当にありがとうございます!!
今回は、『男の花道』の口演と、芸談・随談です。
演目
神田松鯉 男の花道
~仲入り~
神田松鯉 芸談・随談
(聞き手 主催・木積秀公さん)
まとめ
役者のネタということで、今回の芸談は役者時代のお話から
二代目山陽先生との思い出、さらに個人的なお話も伺うことができました。
おそらく世間に知られていないお話もあったのではないかと思います。
芸談中にもお話に上がりましたが、悪役のクセが強いからこそ
主役が引き立つというのはとてもわかる気がします。
いまは地上波から消えてしまった時代劇もそんな感じでしたね。
『勧善懲悪』物語の軸はわかっていても、悪に逆襲すると爽快になる。
人情に厚い江戸っ子の気質を、今でも持っているのかもしれないです。
前回が『勧進帳』、今回は『男の花道』
果たして次回は何のネタになるのでしょうか。
また、聴ける機会を楽しみに待ってます。
男の花道
1部 中村歌右衛門と半井源太郎の出会い、風眼の治療
横山光輝さんの漫画『三国志』の41巻に『名医名患者』というお話があります。
内容は、毒矢を受けてしまった関羽の容体が悪化していたところ
付近を訪れていた、名医・華陀に治療してもらいます。
その際、関羽は骨を削られるのに堂々としていた…というお話。
懸命に治療した源太郎と、一座のためすがる思いで治療された歌右衛門。
これが、関羽と華陀の関係と重なりました。
「金欲しさにやった(治療した)のではない。芸を惜しんでやった」
こう言いながら歌右衛門からの謝礼金を拒否する源太郎に
江戸っ子の『粋』を感じますね。
「では、先生の身に一大事があった時は、いついかなる時でも駆けつけます」
と、応える歌右衛門も立派でした。
2部 恩返し、男と男の約束を果たす歌右衛門
やはり土方の横暴な振る舞い、鬼気迫る迫力が印象に残りました。
源太郎からポロッと出た、『中村歌右衛門』の言葉尻を捕らえ
自分の前に引っ張り出そうとするあたり、なかなかの悪党ですな。
「行ってやれよ!」「俺たちいつまででも待ってるぞ!」
恩人のため、一部始終を話し快く送り出す江戸の客席には
得も言われぬ感動がありました。
今まさに切腹をしようとしている源太郎の元にはせ参じた歌右衛門。
「あぶなかった」とお腹を見ておどける源太郎には笑いました。
この光景を見て、土方はどのような心持ちだったのでしょうか。
苦虫を嚙み潰したようになったのは間違いないですね。
『医は仁術』
男と男の約束を果たし、一隅を照らした中村歌右衛門に拍手喝采。
松鯉先生珠玉の高座でした!!
仲入り
芸談・随談
宮森さんの『誤解帳』が詳しいので、こちらにて。
当方のメモは補記としてご覧くださいませ。
・松鯉先生の悪役が好き(木積さん)
→師匠の山陽先生にも褒められて、がっくしきた。
・大島伯鶴先生以来の講釈師歌舞伎座出演
→伯山さん・尾上松緑さんの尽力のおかげ。
私は神輿に乗っただけ。
・『荒川十太夫』について
→初代松鯉先生の速記から、30年前に自分で起こした。
・歌舞伎の新作は『書きもの』
→今回の『荒川十太夫』は忠臣蔵だが
元々あるもの(仮名手本忠臣蔵)とは違うので、登場人物は実在の人物。
~以下、質問タイム~
Q、二代目山陽先生のとっておきエピソード
A、東京・中央区の屋敷に売れないプロの将棋指しを住まわせ
稽古してもらっていた。山陽先生は将棋は五段の腕前。
大島伯鶴先生・六代目貞山先生にお金を出して
講釈の稽古してもらっていた(お座敷の金額/1回)
→それを(松鯉先生が)タダで教えてもらった。
・大阪の旧角座で米朝師匠トリ・山陽先生仲トリの公演に前座で参加。
その際、飲めない山陽先生の代わりに松鯉先生が飲む相手をした。
・小米時代の枝雀師匠にも会っている。
小米→枝雀へ、芸風が『化ける』のを初めて見た。
それだけに亡くなったのはショックだった。
自分と乖離したキャラを求められていたので、追いつめられた気持ちはわかる。
Q、山陽先生は『女流講釈師の生みの親』と言われるが、どういう意図だったのか?
A、助平だったから(笑)
松鯉先生の入門時点で、既に女流は三名いた。
妹弟子の陽子・紅・紫・などは、松鯉先生が真打になってから入門してきた。
・『男の花道』
講談師→旭堂南龍さん
落語家→林家正雀さんに教えた。
Q、もしいま俳優であるなら、やってみたい役は?
A、ハムレット。
歌舞伎なら河内山。
(木積さん)東海道四谷怪談の伊右衛門を…
(松鯉先生)悪役ばっかりだな(苦笑)
・講釈師の芝居『釈芝居』をやったことがある。
『殿中松の廊下』高師直をやった。
・芝居にも出たことがある
井上ひさしの作品『日の浦姫物語』と『國語元年』
Q、活弁をやったことはありますか?
A、アルバイトでやっていた。
地方回りもしたが、余計なことをしゃべりすぎてしまった。
Q、今後連続物をやる予定は?
A、今持っているものを、弟子に教えるのが先。
Q、今、一番会いたい人は?
A、おっかさん。苦労をさせたから(松鯉先生は母子家庭だった)
本名『渡邉』は母方の苗字。
父方は『クロサワ』→役者時代は”芸名”で使っていた。
・おかあさんにはどんな言葉を掛けたいか?
「お世話になりました。それだけです」
おまけ
おまけ1
藏原木材さん作成の釈台。今回が初めての使用とのこと。
なかなか釈台を裏から見ることはないので、貴重な写真を撮ることができました。
折り畳み部分はこんな感じになってるんですね~


おまけ2
当日の松鯉先生の写真です。




おまけ3
主催・木積さんの肩を借りて高座を降りる松鯉先生


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