川越を歩く⑤~夏の風鈴と川越城周辺の史跡

2022年8月6日
川越に行った際に撮影したもので
未掲載の写真を載せていきます。

川越氷川神社

今回は、当日に撮影した風鈴の写真を掲載します。
神社の様子は以前投稿してますので、こちらをご覧ください。

川越城外郭

 川越城は、長禄元年(1457)に太田道真、道灌親子によって築城され、上杉氏六代、北条四代の持城であったが、当時は後の本丸、二の丸を合わせた程度のものであった。

 江戸時代になって、松平信綱が城地を拡大し、八郭・三櫓、十二門をもつ徳川家の親藩、譜代の大名の居城として有名であった。

 しかし、明治維新後、堀は埋められ、土塁は壊されて、現在ではこの富士見櫓の跡と、本丸御殿の一部が残るのみとなった。

 富士見櫓は築城当初に、本丸西南の隅櫓として建てられた三重の櫓で、城内第一の高所として天守閣の代わりをつとめた。

現地案内板より

富士見櫓跡

 御嶽おんたけ神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。

 櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりとしてなっていたと思われる。

 今日では木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。

 元来、城の構造及び建造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることはなく、正確な規模は分からないが、江戸末期の慶応二年(1866)に川越城を測量した時の記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約15メートル)、横八間(約14メートル)あったと記されている。

現地案内板より

現地の写真

アクセス

川越城 富士見櫓跡

川越駅からバス 「市民会館前」「県立川越高校前」下車
いずれも徒歩5分程度

田曲輪門跡

南大手門跡

小学校の中にあり入れないので
門の外から撮影しました。

中ノ門堀跡

 (前略)江戸時代になると、川越城は江戸の北の守りとして重視され、親藩・譜代の大名が藩主に任じられました。寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は城の大規模な改修を行い、川越城は近世城郭としての体裁を整えるにいたりました。中ノ門堀はこの松平信綱による城の大改修の折に造られたものと考えられてます。まだ天下が治まって間もないこの時代、戦いを想定して作られたのが中ノ門堀だったのです。

 現在地の当たりには名前の由来となった中ノ門が建てられていました。多賀谷たがや家所蔵の絵図によれば、中ノ門は2階建ての櫓門で、屋根は入母屋いりもや、本瓦葺き1階部分は梁行はりゆき15尺2寸(4.605m)、桁行30尺3寸1分(9.183m)ほどの規模でした。
棟筋を東西方向に向け、両側に土塁が取り付き、土塁の上には狭間を備えた土塀が巡っていました。

現地案内板より

アクセス

川越城 中ノ門堀跡

川越駅/本川越駅よりバス 「札の辻」停留所下車徒歩5分

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