2022年4月9日
駒込駅周辺を歩いていたら
ソメイヨシノ発祥の地と言われている寺院があったので、立ち寄ってきました。
藤林山 西福寺

概略
本寺は、藤林山西福寺と号し、真言宗豊山派に属し、本山は奈良の長谷寺です。慶長元年(1596年)豊臣秀吉の時代に開創されました。江戸時代は藤堂高虎家の祈願寺であり、染井よしの桜の発祥の寺として由緒ある名刹です。
ご本尊様は、奈良時代の徳一大師作の阿弥陀如来であり、本堂の宮殿に安置されています。また、本堂に安置されております閻魔大王も徳一大師作であります。
教義は、弘法大師・空海の教え「即身成仏」「鎮護国家」です。
本寺は、明暦・天明・嘉永年間に3度、火災により焼失し、現在の本堂は昭和55年(1980年)に落成しました。初代住職は不明ですが、2代目住職久念(1659年萬治2年没)以降の先師は尊霊碑に記されています。現住職は27代目です。3代目住職祐心は染井稲荷神社に本寺物十一面観音を奉納し大正12年(1923年)に西福寺から神社が分かれ現在に至っています。
図会(巻三)によると、「染井村に藤林山西福寺あり(〜中略〜)本堂の左に往古より鎮座して染井一村の鎮守あり 染井神社という。この所に染井と名付けた泉が在り、村を染井と云うもこの泉による」とあります。
西福寺ホームページより
染井よしの桜発祥の地

当時、この地域には多くの植木屋さんが居を構え、楓・躑躅(つつじ)・梅・染井よしの桜・椿など各種の植木栽培がおこなわれていました。植木屋さんは、それぞれ自慢の植木を自家の門前に並べて通行人に見せ、菊人形、椿の花など四季折々の植木を競っていました。
現在の埼玉県安行のように庭から庭へ観て回れ、将軍吉宗を始め歴代の将軍は植木巡りの折々に西福寺を休憩所として立ち寄りました。染井よしの桜は、昭和28年に東京都の花に指定され、豊島区の花にもなっています。
頒布資料より
境内の写真
本堂



弘法大師像

慈母観音

三界萬霊


伊藤政武樹仙の墓(中央)

江戸時代中期の園芸家。政武は江戸の北、染井村(現在の豊島区駒込六、七丁目付近)の伊藤三之丞の子として延宝四年(1676)に生まれた。号を樹仙という。伊藤家は代々伊兵衛を名乗り、近くの伊勢津藩藤堂家の下屋敷に出入りして、庭の世話をしているうちに植木屋となり、江戸第一の種苗商となった。その種苗目録を『地錦抄』とう。
四代目の政武は江戸城にも出入りして将軍吉宗の御用植木師となり、城内の植木を管理していた。日本の園芸が独自に発達したのは江戸時代であり、キク、ツバキ、カエデ、ツツジ類、アサガオなどの園芸植物が改良され、また、朝鮮や中国をはじめ外国からも奥の植物が輸入されている。政武は特にカエデを好み、深山楓に舶来の楓を接ぎ木することに成功した。写実的な絵画を得意とし、園芸植物に関する著書に『草花絵前集』『増補地錦抄』『広益地錦抄』『地錦抄附録』などがある。宝暦七年(1757)10月2日81歳で死去した。
現地案内板より
伊達慶邦公墓址記念碑


陸奥国仙台藩第十三代藩主伊達義邦(だてよしくに)公は明治七年(1874)逝去され、ご遺体は当寺に納められた。明治二十三年(1890)に仙台大年寺伊達家墓所へと改葬された。その後、大正九年(1920)に家臣であった佐藤素拙の遺志を継ぎ、その子佐藤喜六により墓址記念碑が建立された。慶邦公報恩謝徳の為、仙台藩士として長く行に仕えてきた佐藤素拙顕彰の為、建立せられたものである
現地案内板より
御朱印

書置きを拝受しました、祈祷料300円
下半分の桜の部分は切り抜きになってます。
おしゃれですね!
アクセス
JR山手線 駒込駅より徒歩8分・巣鴨駅より徒歩15分
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