2021年11月13日
芝公園周辺を歩いてきました。
↑の写真は増上寺の三解脱門(重要文化財)です。
芝東照宮
芝にも東照宮があったのは知りませんでした…
御由緒
当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた
当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
(中略)安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(一八七三)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(一六三三)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年(一九四五)五月二十五日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(一九六三)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(一九六九)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。
芝東照宮ホームページより
境内の写真
参道
手水舎
拝殿
葵の御紋が光ってますね。
公孫樹
寛永八年(1641)安国殿の再建に際し、徳川家光公が植えたものと伝えられるイチョウ。
国指定の天然記念物に指定されてます。
御朱印
初穂料は500円。
日光にある杉並の、古木木材で作ったお守りも拝受しました。
アクセス
都営三田線 芝公園駅徒歩1分
三縁山広度院 増上寺
増上寺は、浄土宗の『大本山』です。
御由緒
増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公が当時の住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。
増上寺ホームページより
慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。
境内の写真
水盤舎・鐘楼堂
今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」
「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」
「西国の果てまで響く芝の鐘」
江戸時代、鐘楼堂はこのような川柳で庶民に親しまれたそうです。
大殿
光摂殿
西向聖観世音菩薩
『にしむきせいかんぜおんぼさつ』です。
徳川将軍家墓所
特別公開の期間中だったため、伺ってきました。
葵の御紋がちりばめられている鋳抜き門は壮観です。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所が設けられています。
墓所には各公の正室と側室の墓も設けられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮様も含まれています。現存する徳川将軍家墓所は、本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)を入口の門とし、内部に各公の宝塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
増上寺ホームページより
御朱印
祈祷料500円で書置き。
今回は御朱印帳も購入したため、直書きしてありました。
写経をすると『南無阿弥陀仏』の御朱印を拝受できるそうです(納経料500円)
アクセス
JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分
都営三田線 御成門駅・芝公園駅から徒歩3分
都営浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分
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