三崎港周辺を歩く①~三浦氏ゆかりの海南神社

2022年5月6日
神奈川県の三浦半島先端まで行ってきました。

京浜急行終点の『三崎口』駅よりバスで30分ほど。
のどかな港町です。

海南神社

端午の節句ということで、鯉のぼりが泳いでます。

御由緒

 当社の祭神、藤原資盈すけみつ公は、藤原鎌足の後裔、九州太宰少貮廣嗣の孫に当たりますが、五十六代清和天皇の皇位継承の争いに関係した伴大納言善男の謀挙に加担しなかったため、善男と不和になり、故あって九州博多を出航、貞観六年(864)十一月一日、当地に着岸されました。
その後、資盈公は土地の者に推戴され、付近の海賊を平定したり、里人を教化して文化の基いを築きました。よって、里人の尊崇の念篤く、治績ちせきわずか二年ではあったが公の没するやそのなきがらを海に沈め、祠をを花暮に建立してこれを祀りました。
後、天元五年(982)に現地に社殿を造営し、三浦一群の総鎮守として崇められ明治六年六月、郷社に指定されてました。

ー記ー

 三浦大介義明が源頼朝挙兵のとき、源平の争覇を当社に占った際、白と赤の狐が闘って白い狐が勝ったので、源氏方に加担したと伝えられます。
境内には頼朝公手植と伝えられる大銀杏(樹齢約800年)があります。また御手洗池に架かる神橋の擬寶珠ぎぼしゅは、三崎御船奉行向井左近将監忠勝が寛永十七年(1640)に奉納されたものであります。

 また毎年正月十五日に当社に奉納する歌舞「きゃっきゃらこ」は、資公の妃、盈渡姫みつわたりひめが土地の娘に教えたとの口碑があり、また歌舞島に遊んだ源頼朝河野旅の慰めにと、里女の歌に合わせて、堂女達が即興的に小竹を叩いて踊ったとも伝えられており、昭和四十年五月、神奈川県の無形文化財に指定されました。

現地の案内板より 三浦市作成

MAP

境内の写真

神橋・御手洗池

手水舎・龍神社

本殿

神楽殿

鎧兜が飾られていました。

福徳稲荷神社

海南高家神社

大神宮

金毘羅宮

疱瘡神社・御霊神社

御神木

 頼朝公手植えの雌雄の大銀杏
この大公孫樹は鎌倉時代(1185)に源頼朝公、当社に敬神の念篤く、祈願成就の記念として寄進せしと伝えられる

(樹齢約800年・市指定天然近物)

現地立札より

御朱印

直書きしていただきました。
初穂料300円。

御朱印は、境内社含め8種類あるそうです。
海南神社以外は書置きになります。

アクセス

海南神社

京急久留里線 三浦海岸駅or三崎口駅よりバス『三崎港』停留所より徒歩2分

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