2022年5月6日
神奈川県の三浦半島先端まで行ってきました。
今回は源氏ゆかりの寺院を周ります。
本瑞寺

歴史
建久の昔(1190年代)時の将軍源頼朝は風光のすぐれた三崎に三つの御所を設けました。
桜、桃、椿、の御所がそれで、ここ本瑞寺は「桜の御所」のあったところです。
すなわち、この地に多数の桜樹を植え、あわせて城ヶ島の桜をも望見するといった観桜の宴をしばしば催し、二代将軍頼家、三大将軍実朝もここを訪れています。本瑞寺はもともと、海雲山(入舩の波切不動尊一帯)にありましたが、度々の類焼で、享保四年(1719年)にこの地に移りました。
寺には、康永三年(1344)甲申三月の銘がある神奈川県指定重要有形文化財の梵鐘があります。また、文政四年(1821年)七月建立の山門があり、江戸時代の木造建築としては大変貴重です。
なお、境内には、近代美術の先覚者、岩村透の墓、及び胸像(朝倉文夫作)、彫刻家北村四海の墓及び作品があり、また、ホトトギス派の俳人、松本たかしの墓及び句碑も建てられています。
現地案内板より
境内の写真
本殿




水子地蔵尊

梵鐘

山門不幸


岩村透の墓

松本たかしの墓と句碑

御朱印

貴重なお話をありがとうございました!
祈祷料は300円です。
アクセス
京急久里浜線 三浦海岸駅/三崎口駅よりバス『三崎港』停留所下車 徒歩5分
光念寺

歴史
1190年、和田義盛による開基・創建とされる。正式名称は「浄土宗見龍山量寿院」、本尊は阿弥陀仏。源頼朝が1180年、平家追悼のため挙兵をするも大敗、参戦していた和田義盛は、父三浦義明から落ち延び、久里浜より海上へと逃げた。その際、危機を救ったのは龍神であったと信じた義盛は、発心して筌竜弁財天をこの地に祀ったと伝えられている。
現地案内板より
筌竜弁財天な8本の腕があり武具を持っている独特な弁財天である。また、本堂の天井には左右四体、合計八体もの龍が舞う見事な天上絵がある。
和田義盛の発願による運慶作の仏像は芦名の浄楽寺に祀られている(いずれも国重要文化財)
境内の写真
本殿


筌竜弁財天

源頼朝が平家との戦いを決意し石橋山の合戦に挑んだ際、和田義盛を三浦一族は石橋山を目指している途中で頼朝軍の敗北を知り引き返す。やがて平家の軍勢が三浦半島に押し寄せたため、三浦義明は息子や一族郎党を逃し衣笠城で籠城を決意。
義明の子である三浦義澄や和田義盛は命からがら城を脱出し、頼朝を追って海路房州に逃げるため久里浜より乗船。そこへ折悪しく台風が来た。海上を漂ううちに食もなくなり、死を覚悟したその時、上空に巨大な竜が出現、義盛らの上を舞うと去って行った。
義盛は龍神のご加護と受け止め一心不乱に祈ると、やがて船縁に「筌」呼ばれる竹カゴが流れ着いた。中にはたくさんの魚があり、これで飢えを凌ぐことができたのである。
現地案内板より
義盛は龍神のご加護に対し、感謝の意を込め筌竜弁財天をこの地に祀った。
御朱印

ちょうどご住職が御在宅だったため拝受できました。
祈祷料300円
アクセス
京急久里浜線 三浦海岸駅/三崎口駅よりバス『三崎港』停留所下車 徒歩5分
おまけ
三浦氏ゆかりの地、こんなにあるのか…(;’∀’)
人生を終えるまでにはすべて周りたいですね。

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