国立公文書館23’夏~公文書でたどる100年前の日本②

国立公文書館に行ってきました。
現在開催されている特別展は『大正時代~公文書でたどる100年前の日本』
今回は、第二部の公文書を見ていきます。

大正時代~公文書でたどる100年前の日本

 今から約100年前、大正時代(1912~1926)には、政党を基盤とした議会政治の確立、男子普通選挙の実現、女性の社会進出、教育の充実と子どもの保護、国際連盟の発足といった、現在の我々ともつながりのある動きが生まれていました。一方、第一次世界大戦や、発生から100年を迎える関東大震災など、現在も多くの人々に記憶される出来事も起きています。本展では、今から約100年前の日本がどの様な時代だったのか、国立公文書館が所蔵する資料からご紹介します。

配布パンフレットより

関連年表

第2部 国際社会の中で(大正6年~11年)

 欧州大戦の最中の大正6年(1917)、ロシアで二月革命、十月革命が起こり、ソビエト政権が樹立されます。これに対応するため、大正7年8月、日本はアメリカやイギリス、フランスと共同でシベリアに出兵しました(シベリア出兵)国内では都市部への人口集中や大戦景気によって物価高騰の傾向にありましたが、同年夏にはシベリア出兵とも関連して米価が急激に高騰します。これをきっかけとして困窮した庶民の不満が暴動となり全国に拡大し、軍隊が出動する事態となりました(米騒動)

 大正7年9月、寺内正毅たらうちまさたけ内閣が退陣し、立憲政友会の総裁で衆議院に議席を持つ原敬はらたかしが内閣を組織しました。原内閣は主要な閣僚のポストを同党所属の議員が占める初めての本格的な政党内閣として世論の歓迎を受けます。

 大正7年11月にドイツが降伏したことで4年余り続いた欧州大戦は集結し、大正8年にパリで開かれた講和会議には、日本も戦勝国として参加しました。この会議で対独講和条約が調印され、国際連盟の設立が決定します。大正9年に国際連盟が発足すると日本は常任理事国となり、新渡戸稲造にとべいなぞうが事務局事務次長を務めるなど、重要な役割を担うことになりました。

 欧州大戦後、各国が体験した戦争の惨禍から、国際的な紛争を平和的に解決することが求められました。また、世界的な戦後不況もあり、軍備の制限や縮小による国民の負担軽減を求める声が各国で高まりました。このような状況から、大正10年にワシントンでアジア・太平洋地域の安定や海軍の軍備制限などを協議する国際会議(ワシントン会議)が開かれ、大正11年2月にかけて会議参加国の間で条約の締結や決議が行われ、安定が模索されました。

 国内に目を転じると、欧州大戦中の日本は少額貨幣が不足するほどの好況を呈しましたが、大戦終結後は一転して深刻な不況に悩まされ、社会不安が広がります。こうした状況に対応するため、大正8年に民力涵養かんよう運動が開始され、大正9年には内務省に社会局が設けられました。また中・高等教育を中心に教育の拡充が進められ、高等教育機関への進学者が増加していくのもこの時期の特徴です。

大正6年

臨時教育会議の設置
小額紙幣の発行

大正7年

寺内正毅と原敬
米麦価格比較図
シベリア出兵
米騒動
原敬内閣の成立
原内閣の鉄道政策
大学令・高等学校令の制定

大正8年

西園寺公望と高橋是清
パリ講和会議への参加
スペインかぜ(インフルエンザ)の流行

大正9年

第1回国勢調査の実施
内務省社会局の設置
第1回国際連盟総会の開催
新渡戸稲造の国際連盟事務局事務次長就任

新渡戸稲造さんは、樋口一葉さんの前に
5千円札の肖像画になっていた方です。

大正10年

メートル法が基本単位とされる
皇太子裕仁親王の摂政就任

裕仁親王は、後の昭和天皇陛下です。

平塚らいてうと、女性の政治運動
加藤友三郎・幣原喜重郎・徳川家達
ワシントン会議への参加

大正11年

海軍軍備制限条約の批准
民力涵養運動に活動写真を活用

弾圧をしていた活動写真を
政策に活用する政府の機転が窺えます。

第3部に続きます…

アクセス

国立公文書館

東京メトロ東西線 竹橋駅徒歩5分

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