国立公文書館に行ってきました。
現在開催されている特別展は『大正時代~公文書でたどる100年前の日本』
今回は、第三部の公文書と、おまけの写真を見ていきます。
大正時代~公文書でたどる100年前の日本

今から約100年前、大正時代(1912~1926)には、政党を基盤とした議会政治の確立、男子普通選挙の実現、女性の社会進出、教育の充実と子どもの保護、国際連盟の発足といった、現在の我々ともつながりのある動きが生まれていました。一方、第一次世界大戦や、発生から100年を迎える関東大震災など、現在も多くの人々に記憶される出来事も起きています。本展では、今から約100年前の日本がどの様な時代だったのか、国立公文書館が所蔵する資料からご紹介します。
配布パンフレットより
関連年表


第3部 関東大震災とデモクラシーのゆくえ(大正12年~15年)

大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災は、死者約10万名、行方不明者約4万3千名、全壊家屋は約12万8千戸、焼失家屋は約44万7千戸という甚大な被害をもたらしました。この大災害に対し、9月2日に非情徴発令、臨時震災救護事務局管制、戒厳令が発せられ、救護の推進と人心安定が図られます。この他、私法上の金銭債務の支払延期(モラトリアム)を認める緊急勅令などにより、人々の生活を支える対応が取られました。
生活復旧の実施と並行して、東京・横浜の復興計画の具体化も進められます。9月27日に設置された帝都復興院は、復興計画案をまとめ、帝都復興審査会に諮詢されます。この計画案は、審議会の答申を経て帝国議会に提出されますが、その過程で事業費が大幅に削減され、事務費を削除された帝都復興院も大正13年2月に廃止されました。
大正13年6月、憲政会、立憲政友会、革新俱楽部の3党による連立内閣として加藤高明内閣が成立しました。これ以降、政党の党首が首相を務める政党内閣の時代が続きます。大正14年、衆議院議員選挙法の改正により、男子普通選挙が規定され、長年の普通選挙権獲得運動が一定の実を結びました。大正15年には府県制が改正され、地方選挙にも男子普通選挙が採用されます。一方で、女性の参政権を求める運動も見られましたが、時期尚早との意見が強く、この時には実現しませんでした。
こうした政治変動のなか、大正15年12月25日、大正天皇が崩御、皇太子裕仁親王が践祚し、昭和へと改元されました。
大正12年
関東大震災の被害状況

震災被害に対する支援策


東京復興計画図


帝都復興計画


予算削減された帝都復興計画


大正13年

清浦奎吾と加藤高明

第一次加藤高明内閣の成立


小作調停法の制定



大正14年

男子普通選挙に対する枢密院の意見




治安維持法


若槻禮次郎と女性参政権を求める運動


女性行員の保護


大正15年

地方選挙における男子普通選挙の採用


元号案


いまの元号『令和』もそうですが
『和』がつく元号候補が多いものなんですね。
元々『大和国』ということが由来なのかな?
昭和へ改元




写真で見る大正時代の日本











感想
今回は最終回なので、感想&まとめを。
たった14年間余りの大正時代ですが
第一次世界大戦の勃発や、ロシア革命・ソビエト連邦の樹立。
そして国際連盟常任理事国入りから関東大震災と
いまでは考えられない程、激動の時代だったんですね。
まずは男子のみですが普通選挙法の施行は
民主化への第一歩と言っても過言ではないでしょう。
昭和初期の第二次世界大戦によって民主化は一旦影を潜めますが
敗戦後の政策は、大正時代の流れを受け継いでいるのかもしれないですね。
今回『公文書』を初めて生で拝見したのですがとても興味深かったです。
また特別展が開催される際は伺いたいと思います。
アクセス
東京メトロ東西線 竹橋駅徒歩5分
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