2022年7月3日
名古屋から電車で一時間、西尾市へ行って参りました。
最寄の上横須賀駅から徒歩30分、この日最大の目的地華蔵寺からスタートです。
上横須賀周辺MAP(赤馬の径)

赤馬とは駄馬のことで、領内の治水に尽力した吉良義央公が赤馬に乗って領内を巡視していました。
領民には気軽に声を掛け『吉良さん』の愛称で親しまれた名君でした。
片岡山 華蔵寺

臨済宗の寺院です。
『けぞうじ』よ読みます。
概要
当山は、愛知県幡豆群吉良町岡山の地にあって、名古屋鉄道西尾線上横須賀で下車。駅の東、吉良用水路に沿って北へ歩くこと30分。なだらかな丘の麓にある臨済宗妙心寺派の禅寺で、山門前に「吉良義央公遺跡」と刻まれた大きな石碑があります。
山門を入り、急勾配の石段を登ること二十数段。扁額に「華蔵世界」と書かれた中門をくぐると、本堂を中心に、左は吉良家の霊屋と墓地、右に玄関と庫裡、中庭を間にして書院と庭園、そして中門の右脇に朱塗りの鐘楼があります。
以前は、金星山華蔵寺と称して真言宗のお寺であったと云われ、花蔵寺村(現在の西尾市)にあったと伝えられております。
吉良氏は、鎌倉時代から西尾の実相寺を菩提寺としていましたが、吉良家十四代義定公(慶長五年・1600)が先考追福のため、当山を片岡山華蔵寺と改め菩提寺としました。
吉良家十七代吉央公は、寛文八年(1668)吉冬公が61歳で没したので、父の冥福追善のために田地を寄進。よく九年には京都の妙心寺より天英和尚を招請して、当山の四世としました。
華蔵寺案内資料より
境内の写真
山門


中門


かなりの急勾配です。
両側の坂道より登るよう、注意書きがあります。
梵鐘

元禄三年(1690)吉良さん(吉良上野介義央公)は、50歳を期してこの梵鐘を寄進する。戦時中の供出も免れて、吉良さんの道徳を今に伝える。
現地案内板より
本堂



高家吉良家墓所

案内図

義弥公の写真を撮り損ねた…不覚
義冬公の墓

・義弥子 母は今川範以の娘
現地案内板より
・高家職(肝煎)を継ぐ。高家吉良氏の名声をいよいよ高める。
・一千石をたまい、四千石余を知行する
義央公の墓


『よしひさ』と読みます。
・義冬子 母は酒井忠吉の娘
現地案内板より
・高家職(肝煎)を継ぐ。「吉良が勤めを見習うべし」と称えられる(徳川実紀)
・元禄事件で非業の死を遂げる
義周公の墓

・義央孫 父は上杉綱憲(義央子)
現地案内板より
・諏訪に配流 三年後病死(21歳)
・名門吉良家断絶
義安公の墓

義定公の墓

・義安子 母は松平清康(家康の祖父)の娘
現地案内板より
・関ヶ原合戦に出陣
・徳川幕府旗本に登用される
・父義安の菩提のため華蔵寺を再建する
三郎君・あぐり姫の墓


岡山八兵衛尉弥清公・東条織部義孝公の墓

吉良家家臣供養塔


赤穂浪士だけでなく、吉良家の家臣も立派な『義士』ですね。
『真実を求めて』

個人的に、この石碑が一番感動しました。
赤穂浪士と対比され、大悪党に仕立て上げられてしまった吉良家。
そんな世情に対する見事なカウンターパンチだと思います。
御朱印

祈祷料300円。非常に気さくなご住職でした。
天候が崩れてきたのと、時間の都合上滞在時間が短かったのが残念でならなかったです。
アクセス
名古屋鉄道西尾線 上横須賀駅より徒歩30分程度
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