小田原を歩く①~後北条家・大久保家ゆかりの地

2021年10月3日
緊急事態宣言が明け、県外移動が可能になりましたので、神奈川県小田原市を1日歩いてきました。
今回は駅前から小田原城を周る、定番?のルートになるのでしょうか(笑)

とても楽しい街だったので、また伺いたいと思います。

↑の画像は、小田原駅北口にある北條(北条)早雲公の銅像です。
台座ありの写真と、説明板はこちらに載せておきます。

近年の研究で、早雲公は室町幕府の申次衆・伊勢宗瑞(新九郎盛時)であること。
堀越公方・足利茶々丸を殺害し、伊豆を奪取した『伊豆討ち入り』は、細川政元が起こした『明応の政変』と連動した幕命だったことが明らかになっています。

小田原城址公園

馬出門

『うまだしもん』
ここから小田原城へ向かいます。

馬出門桝形

切石敷井戸跡/馬屋廓二重櫓

雁木

『がんぎ』
土塁の上に昇るための階段です。
鳥の雁(がん)が並んで飛んでいる様子が階段の形に似ているため、この名称で呼ばれています。

銅門

「どうもん」ではなく、「あかがねもん」と読みます。

江戸時代の二の丸表門にあたる城門で、木の門に耐火を兼ねた銅の装飾がなされています。
一見銅の門かと思いましたが、近くで見ると木であることが確認できます。

こちらは銅門の上部です。
渡櫓には『石落とし』と呼ばれる、敵を撃退するための仕掛けが設けられていました。
『小田原評定』の一場面も。

ビャクシン

常盤木門

江戸時代の本丸に位置し、城門の中でも堅固に造られていました。
この門を抜けると天守閣が見えてきます。

小田原城

いやー、大きいお城ですねー。
難攻不落の要塞というのも頷けます。
小田原城は、『日本の名城100(No.23)』の一つです

小田原城の歴史

15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達しました。

しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。

北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修されました。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されましたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新されました。

貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至りました(後略)

小田原城ホームページより

下記の動画もご参照ください
YUKIMURA CHANNELさんより)

城内・天守閣からの写真

2階以外は撮影OKでした。

最盛時の小田原城、復元時天守閣跡には観覧車があったんですね~

天守閣から撮影した写真です。
箱根、伊豆半島が見えます。

天守閣の模型/天守型厨子(ずし)/摩利支天像

アクセス

小田原城

各線 小田原駅より徒歩10分

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