第五回オンライン釈場~紀尾井小ホールでの講談会

2020年7月22日配信 第五回オンライン釈場を視聴。
今回は伯山さんが開口一番です。

松鯉一門の一番弟子である鯉風先生が登場!
日本講談協会の職人が出演する大満足の配信でした。

演目

神田伯山 左甚五郎~陽明門の間違い
神田山吹 わんぱく竹千代
神田鯉風 出世の証文~江戸元祖煉羊羹
神田昌味 木津の勘助~勘助島由来

オープニングトーク・伯山さん

会場である紀尾井小ホールについての説明が。

伯山さんは、30名を満杯にしてそこから50名(らくごカフェ)
意外と50を満杯にするのは大変だそうです。

50名の壁を突破すると、次は100名(お江戸日本橋亭など)
そこから内幸町ホール(180名)
→日本橋社会教育会館(200名)ここが初めての指定席。

そこから紀尾井小ホール(250名)へ。

伯山さん・陽明門の間違い

伯山さんの世代では、名人と言えば「高橋名人」が思い浮かぶそうです。
16連射の高橋名人。僕もほぼ同世代なのでそうなりますね。あと毛利名人ですか。

スイカを16連射で破壊したのは印象深いですが、あれは下から空気を入れていたという話は有名ですね(;’∀’)
「高橋名人の冒険島」めちゃくちゃ難しかったなあ…

名人とは幻想で、つかめない。
どこまでもどこまでも上にある。いい表現です。

三代将軍家光が陽明門の普請を、日光の大工である栗原遠々江(くりはらとおとうみ)に命じます。

が、遠々江は気に入らない仕事だったのか、二年放ったらかしにしてしまったので家光はご立腹。
ご意見番の大久保彦左衛門は江戸の大工、甚五郎を日光へ向かわせることとなります。

遠々江は甚五郎も気に入らなかったのですが、互いに腕を競い合い、三か月で普請は完成。

「甚五郎の方がいい出来だ」という人々の声に嫉妬した遠々江は…
甚五郎が主役ですが、遠々江の一番弟子である滝五郎も双方に義理を果たす立派な人物でした。

この演目は愛山先生より教わったそうで、愛山先生の口演も以前聴いたことがあります。
落語の「竹の水仙」などとは違い少し暗い演目なだけに、伯山さんのちょっと明るい様子もいいですね。

山吹さん・わんぱく竹千代

徳川三代将軍家光公が若き日の話です。
育てたのは、後の春日局。春日局の父親は斎藤蔵之介。
明智光秀の重臣ですから世間は狭いですね。

家光の母親(秀忠の妻)はお江。
こちらは浅井長政の娘で、織田信長の姪でもあります。

我が子に会う事ができず寂しい思いをしていたお江は、次に生まれてきた子(国松)は自分で育てる事となりました。

両親に目をかかられなくなった竹千代ですが、それをいい事にわんぱくし放題。

余りにわんぱくが過ぎるので、家忠とお江は竹千代を廃嫡し弟である国松を跡継ぎに擁立しようと画策。
困った春日局は大御所家康の力を借りようと、駿河へ向かいます。

その場では春日局を突き放した家康ですが、翌日江戸へ。

江戸城では家康が竹千代の相続を支持、その他重臣が竹千代を支持したので、三代将軍家光が誕生。徳川260年の基礎を築いたのでした。

鯉風さん・出世の証文

天満の玩具屋・淡路屋の主人喜三郎
実直で商売熱心、色男なので商売は大いに栄えております。

ある日、女房の「おいち」言葉に乗ってしまい、大きな事業をしましたが失敗。
しかもおいちは着物が取られるのが嫌なので実家に帰る始末。

喜三郎は道具・店を債権者に渡し、残った借財125両は十枚の出世証文として江戸へ向かいます。

上州屋嘉兵衛に身元を引き受けてもらい、大久保主水という菓子屋へ奉公に入りますが、悪事の片棒を担がされそうになったので暇を。

次に奉公へ行ったのが、三河屋茂兵衛という鰹節問屋。
たちまち取引先に気に入られ、新規も開拓。
さらに娘の「お絹」に気に入られましたが、身一つで返そうという思いを違えてしまうので、借財の話をして暇を。
お絹とは紆余曲折ありましたが後年結婚しております。

その後自分で商売をする喜三郎。
半年して元手がたまったので、当時江戸にはなかった上方風の羊羹を一年かけて作りました。
(現在の羊羹は元々上方風だったとの事)

「江戸元祖練り羊羹 淡路屋喜三郎」
たちまち飛ぶように売れ、また喜三郎の人柄も相まって淡路屋は幕末まで大いに栄えたそうです。125両の出世証文は倍付で返済したとの事でした。

鯉風先生の高座は3回目かな?
流れるような読みと、張扇を二段叩くのが好きなんですよね(´▽`)
今回の人情噺もよかったです。

昌味さん・木津の勘助

日本講談協会のサザ…副会長。
昌味先生も続いて上方由来の演目です。

大阪の木津に住む日雇取(ひようとり)の勘助。
母親の月命日に大阪の町中にあるお寺にお参り。

近くにあった大きな墓石の上に大きな袱紗が置いてあったので、中身を見てみれば30両と何枚もの書きつけ。
書付には「淀屋十兵衛」としたためてある。

勘助は大川町の十兵衛まで袱紗包み届けたところから話が始まります。

昌味先生は今回2回目です。初めて聴いた演目が「報恩出世俥」
今年の日本講談協会初席でしたが、この演目が一番印象に残っていたことを思い出しました。
「いい話をさせたら右に出るものはいない」さすがの高座でした!

まとめ

エンディングでみなさんから出たキーワードが「本牧亭」
当時は講談冬の時代で、前座さんの出演時間は客入りが数名だったのだとか。
その当時を経験しているので、無観客は問題なくこなせるんですね。

本牧亭は2011年閉場なので、残念ながら足を運ぶことはできませんでした。
行ってみたかったなあ…

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