第六回オンライン釈場~紀尾井小ホールでの講談会②

2020年8月22日配信
第六回オンライン釈場をyoutubeにて視聴。
今回は協会の枠を超え、講談協会の宝井琴調先生がご出演です。

演目

神田伯山 国定忠治旅日記~忠治山形屋
神田蘭  曲馬団の女
神田京子 鉢の木
宝井琴調 八丈島物語

伯山さん・忠治山形屋

一龍齋は義士伝、田辺は新作、宝井は軍談物・武芸物。
そして神田は侠客物。それぞれ流派によってお家芸があるとか。

忠治山形屋は、江戸時代後期の侠客「国定忠治」連続物の中からの一席。
コンプライアンスが叫ばれている昨今、侠客物は今後埋もれてしまうのでしょうか。

「国定忠治は鬼より怖い。にっこり笑って人を斬る」

飢饉に苦しんだ天保年間。
土地の者を助けようと、代官所を襲い悪代官松田軍兵衛を斬った忠治。
籠っていた赤城の山から下り、信州から甲州へ向かう途中大雨にあった忠治は近くの辻堂で雨宿り。

ここである話をする兄弟分二人の話を聞くことになります。
その後、入れ違いに来た百姓・弥五右衛門が首を括ろうとしていたので止めた忠治でした。

娘のミツを山形屋藤蔵に25両で売った帰りに、お金を取られてしまったと話す弥五右衛門。
山形屋藤蔵が裏で糸を引いていると見た忠治は山形屋へ向かいます…

蘭さん・曲馬団の女

伯山さんが前座楽屋入りの際、二ツ目昇進直前だった蘭さん。
その頃の様子がお二方の対談で語られております。
鬼軍曹とダメ前座〜【前編】
拝聴しましたが、なかなか興味深い内容でした。

戦時中人さらいをされ、曲馬団(サーカス)に売られた「山崎蘭」という女性が主人公の人情噺。
登場人物全員がハッピーエンドを迎えるとてもいい読物でした。

戦死した加島聡吉宅を訪ねた蘭。
母親が対応するが、聡吉と夫婦約束をしたと打ち明け写真を見たいと家に上がります。
夫婦約束とは真っ赤な嘘で、実は香典泥棒をするためでした。

母親の優しさ、写真に写る聡吉に見惚れた蘭は、帰る瞬間を逃して母親が帰って来る。
母親は四十九日か百箇日まで側にいてもらいと言います。
快諾した蘭は加島家で母親と幸せに暮らしました。

時は戦後。
戦死をしたと思われた聡吉が帰ってきました。
聡吉と対面した蘭は…

京子さん・鉢の木

「今日、来たから」京子さん。
東京と山口の2拠点体制を取っておられます。
実名が神田京子という方はいそうですね(;’∀’)

鉢の木は、「いざ鎌倉」の語源になったとも言われている、
源左衛門駆けつけの修羅場読みが山場の人情噺です。

鎌倉幕府第5代執権の北条時頼。
ある年時頼は頭を丸め「覚了房道崇」と名乗り、
二階堂信濃守こと「信濃坊同栄」を供に日本諸国を行脚。

下野国・安蘇郡(あそごおり)唐沢山、牧の山中にいる佐野源左衛門常世という人物。
この源左衛門は、かつて時頼が讒者(ざんしゃ)の言を聞き入れ放逐した佐野玄蕃正継の忘れ形見でした。

源左衛門に素性を明かしてもらった道崇。
棚の上にある梅・松・さくらの鉢植えについて尋ねます。
由来を答える源左衛門。話しているうちに火がだんだん乏しくなってきました。

突然立ち上がった源左衛門は三木の鉢を下ろし、鉈で根本から切り払い炉の中へとくべました。
道崇は深々と礼を言います。

翌日家を発った道崇。
その後妻の白妙が座敷を片付けようと枕元の行燈を見たら…

琴調さん・八丈島物語

宇喜多秀家の物語です。
物語は関ヶ原の戦いから3年後。東軍・西軍それぞれの運命をたどっております。

福島正則は東軍につき、その功で広島62万石の大名へと出世をしておりました。
関ヶ原から3年を迎えるので、何か新将軍・大御所家康公へと献上したいので、何がいいかと家来を集めておりました。

献上品は広島の清酒100樽と決定。
当時陸上では運べなかったので、船で運ぶ事に。船の名は備前丸。
裁量の役は足軽小頭の大金金右衛門(おおがねきんえもん)でした。

百樽乗せた船は3日後、海上で天候が急変。
嵐に逢い船が流され八丈島に流れ着いた一行。
島沖に入った備前丸ですが、船頭は風向きが変わるまで待つとの事。

2、3日かかるとの事なので足軽10人を連れて島見物に行く金右衛門。
夕方になり親船に戻ろうとした時、ボロボロの身なりをした男が現れました。

自分は福島正則の家来であると告げると懐かしそうな顔をする男。
この男がかつて備前岡山城57万石の主、宇喜多秀家でありました。

清酒100樽を運んでいる事を聞いた秀家は酒を所望しますが、献上物には手を出せません。
それでも金右衛門は切腹を覚悟で1樽を浜辺に運びます。
樽の中に映る自分の姿を見て、3年前の月見の宴を思い出し涙する秀家でした。

その後江戸ではなく広島へ戻った金右衛門。
詳細を報告すると正則は驚き、頭を抱えました。
正則は家康公・秀忠将軍へ手紙を送ります。罪の赦免はできないが、島領500石の所領を与えられ八丈島で50年間暮らし、秀家は84歳まで生きたそうです。

まとめ

四席とも心温まる人情噺でした。
開口一番が伯山さんというのも豪華。
協会の枠を越えたことで、今後講談協会の方のご出演にも期待します。

次回の開催も楽しみですね!

補足

讒者(ざんしゃ)
人をおとしいれようとして、事実に反する悪口を言う者。

デジタル大辞泉より

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