2021年11月6日
此花千鳥亭で昼夜講談会を拝聴した翌日、大阪市北区を1日歩いてきました。
例によって写真が大量になったので、2記事に分割。
前日に伺った千鳥亭近所の神社も合わせて記載します。
↑の写真はJR西九条駅から阪神千鳥橋駅に向かう途中、六軒家川のほとりにある『初代大坂船奉行所跡』です。
四貫島住吉神社
上述の通り、此花千鳥亭の近所(徒歩1分)の場所にあります。
四貫島について
現在の四貫島地域は、1624年、衢壤(くじょう)島(九条)と共に開発された土地である。
大阪市此花区ホームページより
天正年間には漁業を主な生業とする方が幾人か住み着き、漁業を行い、船夫として雇われる生活の傍ら四貫島新田の開拓を行っていたといわれている。
「四貫島」の由来は、この島の開発後にさる人が価四貫文で買い受けたことに由来するとされる。
御由緒
この辺りは浪速八十島と言われ、住民の主たる職業は漁撈又は船夫であり、会場安全の守護神である住吉大神を深く崇敬していた。
そこで元和年間(1615~1624)、摂州住吉大社の社家・橋本亀太夫に請うて、その御分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島元宮町)に御鎮祭したのが当社の起源である。
宝暦五年(1756)、その東方に御遷座、更に市電敷設のため大正十年(1921)現在の地に御遷座になった。
四貫島住吉神社掲示板より 西暦は追記
境内の写真
大阪の神社は、拝殿の前に石柱が建っているんですね。
手水舎
拝殿
境内社
正一位稲荷大明神です。
東野杏果さんの樟木塚・神輿庫
『美し幾 情希よふるゝ 祭唄』でしょうか。
詳細は分かりませんでした。
御朱印
とても優しい宮司さんで、初穂料は「お気持で」
対応に困ったので、300円収めてきました。
「よう、お参りやした」というお言葉にキュンとしました。
アクセス
阪神なんば線 千鳥橋駅徒歩5分
詳細→大阪神社庁ホームページ
中崎町
大阪市北区の地名、中崎・中崎西を総称して『中崎町』と呼ばれているそうです。
東京で言えば足立区町屋や南千住辺りになるでしょうか。
空襲を免れた非戦災地区で、昔ながらの長屋が軒を連ねています。
中崎町の写真
レトロでいい街並みですね~
白龍大神
『はくりゅうおおかみ』と読むようです。
『白龍大神』は、お社の下に白い蛇が住んでいる事から別名『みーさん』と呼ばれ、ここ中崎町を見守る神様として地元の方をはじめ、たくさんの方々の神様として奉られています。
商売や芸術、健康・子宝、また人と人とのご縁などのパワーを授かるスポットとして、近年各方面から注目を集めております。
みなさまも是非一度お参りしてはいかがですか。
中崎・白龍大神保存会 由緒書き掲示板より
天五中崎通商店街
アクセス
大阪市高速電気軌道谷町線 中崎町駅
佳木山 太融寺
真言宗の寺院です。
豊臣秀頼の生母、淀殿のお墓があります。
御縁起
太融寺は寺伝によりますと、弘仁12年(821)、弘法大師が当時この地にあったという森の中から異香の薫りを放つ霊木を採られ、地蔵菩薩と毘沙門天とを刻んで草庵を結ばれたことがその始まりです。
このことに大いに興趣を感じられた嵯峨天皇が、その翌年この地に行幸なされ、ご自身の念持仏を下賜されました。
その念持仏こそ千手観世音菩薩であり、本堂のご本尊として信仰されています。承和10年(843)、嵯峨天皇の皇子である河原左大臣源融公がこの地を訪れ、八町四面を画して七堂伽藍が建立されました。
太融寺ホームページより
そして霊木によって創建された故事により山号を佳木山とし、源融公の諱をとって太融寺と名づけられました。(後略)
境内の写真
拝殿
永代供養塔・白龍大神
こちらにも、『白龍大神』のお社がありました。
淀殿のお墓
こちらが淀殿のお墓です。本名、浅井茶々
浅井三姉妹の長女で、浅井家滅亡後は豊臣秀吉の側室になりました。
秀吉の子・拾(後の豊臣秀頼)を生み、秀吉の死後は秀頼の後見人として政治介入。
慶長20年(1615)の『大坂夏の陣』で自害されたとされてますが、遺体が存在しないため、秀頼と共に逃亡・生存説などの伝説が生まれました。
御朱印
祈禱料は300円。
しっかりした文字を、都度ドライヤーで乾かしている姿が印象的でした。
アクセス
地下鉄谷町線 東梅田駅より徒歩7分
地下鉄御堂筋線 梅田駅より徒歩10分
JR 大阪駅より徒歩10分 ほか
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