2023年9月24日
国立劇場に文楽を観に行って参りました。
国立劇場は10月末に建て替えのため閉場。
今回が最終公演で、最終日『大千穐楽』になります。
第三部は『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』です。
曾根崎心中について
元禄十六年(1703)四月に起きた心中事件を、近松門左衛門がすぐに脚色し、翌五月に竹本座で初演されたのが本作です。近松は本作で同時代を生きる人々を描いた世話浄瑠璃の方法を確立し、当時の人々に画期的な印象を与えました。金世では程なく上演が途絶えますが、近代になって近松作品に対する再評価が高まると、本作も戦後、野澤松之輔の脚色・作曲を得て、昭和三十年(1955)一月に四ツ橋文楽座で復活上演されました。この上演が大成功となり、現代の文楽を代表する人気曲として定着します。初代国立劇場においても、昭和四十三年以来十九回にわたって上演され(令和二年の中止公演、文楽鑑賞教室五回含む)、それぞれの時代を反映した名演が繰り広げられています。五十七年にわたる歴史を持った初代国立劇場の文楽公演は、この作品により幕を下ろします。
パンフレットより
演目
生玉社前の段
天満屋の段
天神森の段

まとめ
一昨年に、初めて大阪の『露天神社』に行ってから
ずっと見たかった曾根崎心中。
国立劇場の最終日・最後の公演で見られて、感無量でした。
そして終演後にまさかのカーテンコール!
技芸員の皆様笑顔で、「新しい劇場でお会いしましょう」というメッセージが印象的でした。
これから東京公演は場所を変えながらの開催になりますが
今後も時間の許す限り観に行きたいと思います。
次回の12月公演は、北千住のシアター1010での開催になるそうです。
主な登場人物
手代徳兵衛 天満屋お初
天満屋の亭主 丁稚長蔵(平野屋の丁稚)
女中お玉(天満屋の女中)
油屋九平次
生玉社前の段
醤油問屋平野屋手代徳兵衛は、生玉社前で、恋仲の遊女お初と出逢い、伯父である主人からその娘との縁談を迫られているという自身の窮状を語ります。徳兵衛は、馴染みのお初を大切に思い、自らの立場が悪化するのを承知で、縁談をきっぱり断ったのです。そこまで覚悟を極めた徳兵衛ですが、信頼していた友人の九平次に、伯父に返すべきはずの金を騙り取られ、公衆の面前で辱められます。
パンフレットより
徳兵衛は友人のよしみということでお金を貸しましたが
それは九平次のはかりごとでした。
『正直者が馬鹿を見る』とはいいますが
この九平次の対応は見ていて気分がよくないですね。
お初の目の前で、九平とその仲間に袋叩きにされた徳兵衛。
お金も取り戻せず絶体絶命の状況になってしまい
これが死を覚悟させたのでしょうか。
天満屋の段
「恋風の身に蜆川流れては」と語られるように、かつて堂島新地と曾根崎新地との間を流れた蜆川。そのほとり、紅灯の煌めく遊里に建つ天満屋で、傷心と憂慮を抱えるお初と徳兵衛の二人が再会します。見世の人々の眼を忍び、お初の打掛に隠れる徳兵衛。訪れた九平次の雑言を聞きながら、二人は密かに心中への思いを確かめ合います。夜も更け、家人にに見つからないように息を潜めて、恋人たちは闇に紛れていきます。「死にゆく身を悦びし、哀れさ辛さ浅ましさ」哀愁、鬱屈から緊迫、それから解放され救済される二人の心。しかし、それを見る者は何とも切ないものを感じざるを得ないのです。
パンフレットより
九平次の罵詈雑言に耐える徳兵衛と、徳兵衛を守るお初。
徳兵衛を巡る二人の舌戦に胸を打たれました。
お初と徳兵衛が天満屋を出る時がハラハラして
見つかったらどうしたのだろうかと考えを巡らしてました。
天神森の段
梅田の橋を渡り天神の森へと歩むお初と徳兵衛。この世にいるべき場を失った二人が、死地を求めて彷徨します。来し方、ここへ至らしめた運命、そして彼らの亡き後の世への想い、そうした様々なものが心に去来する中、二人は冥途への旅路を進むのでした。
パンフレットより
この場面はゆっくり時間が流れています。
心中前、お初の両親を思う言葉が印象邸でした。
そして最後に何度も抱き合う二人。
今生の別れを惜しむかのようです。
ラストは映画などでは凄惨な場面になりますが、
お初徳兵衛は人形なので血は出ません。
それが物語の後味を良くしていました。
繰り返しになりますが、
国立劇場最後の公演で、この演目を見られてよかったです!
おまけ
終演後、カーテンコールの様子です。




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