2021年5月8日
上野公園~寛永寺まで散歩してきました。
前回の続きです。
上野東照宮
御由緒
上野東照宮は1627年創建の東京都台東区上野公園に鎮座する神社です。 東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。 当宮は出世、勝利、健康長寿に特に御利益があるとされ信仰されています。 金色殿(社殿)などの豪華な建造物は、戦争や地震にも崩壊を免れた貴重な江戸初期建築として国の重要文化財に指定されており、国内はもとより、海外からも多くの方がお参りされます。 1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもので、遠く日光までお参りに行くことができない江戸の人々のために日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと言われています。この造営替えに際し約250基の灯籠が全国の大名から競うように奉納されました。 幕末には寛永寺の伽藍や子院の多くが消失する上野戦争が勃発しましたが、上野東照宮には火の手が及びませんでした。関東大震災にも倒れず、第二次世界大戦では社殿のすぐ裏に爆弾が投下されましたが幸いにも不発弾で社殿の倒壊は免れました。 明治時代には神仏分離令の為境内の五重塔を寛永寺に譲渡(現在は東京都の管理)するなど、江戸時代と比べ境内地は縮小されましたが、江戸初期に建立された社殿が数々の困難を乗り越え現存することは奇跡的で、強運な神君の御遺徳の賜物と言われています。
春は牡丹・桜の名所として、秋は紅葉、ダリア展、お正月は初詣や冬ぼたん鑑賞の方で大変賑わい、出世、勝利、健康長寿などの祈願成就を願う方が後を絶ちません。
上野東照宮ホームページより
かつて江戸の人々の家康公への信仰の対象であったこの御宮は、江戸時代と変わらぬ姿で今もなお多くの方に心の安らぎを与えています。
境内の写真
灯篭がとにかく多いです。
手水舎です(動画あり)
季節だからでしょうか。牡丹の花が浮いてました。
狛犬です。
三大石工の一人とされた「井亀泉」酒井八右衛門作。
こちらは「大鈴」で、酒井八右衛門が寄進されたそうです。
唐門です。国指定重要文化財。
正式名称は唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)
左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻や、扉には唐草格子、扉の上には亀甲花菱、正面上部には錦鶏島・銀鶏島の透かし彫りなど、非常に精巧な作りになってます。
御三家灯篭です。国指定重要文化財。
尾張・紀伊・水戸の「徳川御三家」より2基ずつ奉納されてます。
(唐門向かって反対側にも3基の灯篭がありました)
神楽殿と五重塔です。
五重塔は元々東照宮の持ち物でしたが、明治時代の神仏分離令によって寛永寺へ譲渡。
その後東京都へ寄付されてます。
御朱印

初穂料は300円で、書置きです。
今回は御朱印帳を購入したため直書き(500円)
桜・牡丹・ダリアの季節はそれぞれの花の押印があるそうです。
今回は牡丹の花の押印がありました。
アクセス
JR「上野駅」 公園口より徒歩5分
東京メトロ「上野駅」 不忍口より徒歩10分
詳細→上野東照宮ホームページ
東叡山寛永寺(根本中堂)
御由緒
寛永寺は天台宗の別格大本山のお寺です。
寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。
また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、開かれたお寺としての役割を果たすことを目指しています。寛永寺は来る創建400周年(2025年)に向けて、上野に刻まれた歴史の重みを今に伝えています。
寛永寺ホームページより
境内の写真
根本中堂(本堂)です。上部に葵の御紋。
元禄十一年(1698)、現上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は、慶応四年(1868)彰義隊の戦争の際に焼失してしまったそうです。
現在の根本中堂は、明治九年(1876)から十二年(1879)にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂が移築され、本堂になりました。
寛永十五年(1636)の建造と言われてます。
銅鐘と地蔵です。
旧本堂表門・根本中堂表門 鬼瓦
旧本坊表門は寛永初年に天海自身が建てたそうです。
慈海僧正・尾形乾山の墓
了翁禅師塔碑です。
事務所の幕にも葵の御紋が!
徳川綱吉霊廟勅額門です。国指定重要文化財。
綱吉の霊廟の一部は明治維新後に解体、第二次大戦で焼失しており、この勅額門と水盤舎が戦火を免れているそうです。
御朱印

祈祷料は500円。
感染症対策のため、御朱印は書置きでした。
アクセス
JR「鶯谷駅」 徒歩6分
各線「上野駅」 徒歩15分
詳細→寛永寺ホームページ
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