2020年8月13日 日本講談協会「若葉会」へ行って参りました。
前座と二ツ目の皆様で構成される、いわゆる若手の修練場です。
月2回、平日にお江戸日本橋亭にて開催。
定席の寄席では持ち時間が決まっているため、抜き読みになってしまう事が多いのですが、こちらは読み切りまで披露されておりました。
演目
神田子太郎 寛政力士伝~越の海
神田鯉花 寛永宮本武蔵伝〜山本源藤次
神田陽菜 伊達家の鬼夫婦
神田松麻呂 慶安太平記〜丸橋忠弥登場
神田桜子 八百屋お七
仲入り
神田紅佳 元寇〜神風は吹いたか
神田紅純 エドガー・アラン・ポー原作 黒猫より~猫屋左門
神田真紅 遠州屋嘉兵衛の義侠心

子太郎さん・越の海
開口一番は子太郎さん。
神田陽子先生のお弟子さんです。
このネタは子太郎さんに合っている気がします。
なぜなら、たいけ…(;’∀’)
越後・酒屋の小僧勇蔵。柏戸という中堅力士にスカウトされ江戸へ。
兄弟子はまだ肉がついておらず、細い体でした。
「竹竿と提灯」勇蔵の体つきと兄弟子の細い体を上手く表現しております。
兄弟子が稽古をしてくれない事に悩み、国元へ帰ろうとした勇蔵は
横綱・谷風梶之助との稽古をして…
鯉花さん・山本源藤次
鯉花(りか)さんは、神田松鯉先生のお弟子さんです。
尾張の名手「山本源藤次」と手合わせをしたい武蔵は、
「義兄弟」という嘘をつきますが、源藤次は暖かく迎え入れます。
その後尾張公にも目通りし、眼前で源藤次と手合わせする事になります。
二人の気合に、試合を止める尾張公でしたが…
陽菜さん・伊達家の鬼夫婦
陽菜(ひな)さんは、神田陽子先生のお弟子さんです。
伊達家家臣、井伊直人。
賭け事に興じるようになり、家の財産を食いつぶしてしまいました。
妻のお貞は裕福な家なので金の無心をしますが、自分と剣術の勝負をして勝ったら渡す。負けたら修行の旅に出て下さいという条件を付けます。
女に負けるはずがないという直人でしたが、薙刀使いのお貞にあっと言う間に負けてしまいました。
「猪のほら入り、ほら返し」
直人の姿が目に浮かびます(;’∀’)
約束通り仙台をを去って江戸へ向かい、柳生宗矩へ弟子入りします。
3年間腕を磨いた直人でしたが、やはりお貞に勝てず。
更に3年間修業をし、仙台に帰った直人は…
松麻呂さん・丸橋忠弥登場
松麻呂さんは、神田松鯉先生のお弟子さん。
松麻呂さんまでが前座さんです。
江戸・御茶ノ水に宝蔵院流槍術同情を開いている丸橋忠弥。
後に由井正雪の仲間に入り幕府転覆計画に加担します。(詳細は慶安の変参照)
今回は忠弥と正雪が出会う話です。
忠弥のせっかちなキャラクターも相まって、大爆笑しました(´▽`)
由井正雪に会うためとはいえ、毎日通うのは狂気の沙汰ですねw
桜子さん・八百屋お七
八百屋お七は、江戸本郷の八百屋の娘。
恋人に会いたい一心で自宅に放火事件を起こし、火あぶりにされた少女。
歌舞伎や浄瑠璃でも有名な演目のようです(八百屋お七参照)
八百屋に放火する場面では夢遊病者のようになっており、憐れんだ役人から年齢を「15歳」とされました(当時は15歳までの罪人は遠島、16歳以上は火あぶりの刑に処せられていたそうです)
が、火事場泥棒をしようとして打ち首になった吉三郎から本当の年齢を告げられ、確認も取れた事からやむなく火あぶりにされるお七なのでした。
仲入り
紅佳さん・元寇〜神風は吹いたか
二度目の侵攻「弘安の役」の論功行賞が鎌倉幕府崩壊の引き金となった元寇。
クビライの口調が、一時代前のインチキ中国人風です(;’∀’)
そして失礼ながら、元寇に関してほとんど勉強した記憶がありませんでした…
鎌倉時代の戦争なのでマイナーなイメージがありますが、モンゴル帝国と鎌倉幕府双方とも転換点になっていたんですね。
紅純さん・黒猫より~猫屋左門
怪談というより、怪奇のネタですね。
黒猫は日本では「福猫」なのだとか。
紅純さんの猫は「鍋島の猫騒動」も聴いたことがありますが、今回も似合っておりいい感じでした!
左門の家にやってきた黒猫は「とこよ」と名付けられます。
近場に出かける際はいつも左門と一緒なので、「猫屋左門」という異名がつきました。
ある日、ひょんなことから博打にはまってしまった左門。
負けが込み次第に酒が深くなり、おかみさんである「おしま」にも八つ当たりするようになります。
そんな中、久しぶりに勝った左門は博打を辞めると言いますが、とこよには見透かされているように感じてしまい腹立たしくなり、とこよ右目を潰してしまいます。
ここから怪奇が始まる事になります…
真紅さん・遠州屋嘉兵衛の義侠心
横浜の発展し寄与した高島嘉右衛門の父、遠州屋嘉兵衛。
嘉兵衛が出入りを許されていた得意先南部藩(盛岡)
夜明け早々に勘定奉行、江戸留守居役などが遠州屋を訪れると、国元の困窮を嘉兵衛に訴え援助を懇願します。
それは国元が冷害に見舞われており、南部藩70万の民草が困窮しているという事。
後に「天保の大飢饉」に発展する大災害です。
困った嘉兵衛はもうひとつ出入りを許されている、佐賀鍋島藩の勘定奉行・成富勘左衛門へ相談します。論理的な話を取り継がれた藩主鍋島直正は納得するや、3万石を送る事を約束。
後日留守居役を改めて出頭させるようにと指示します。
江戸屋敷の急場しのぎを考えていた重役は困惑。
本国へ決裁を仰ぐと言い出しますが、嘉兵衛は激怒。「自分が責任を取る」
失敗したら切腹の覚悟を持ち、「勘定奉行」の地位を拝命し佐賀へ乗り込んでいきます。
無事3万石は送り届けられ、飢饉を乗り切った南部藩。
しかし支払うお金はありませんでした。
嘉兵衛は切腹の覚悟を持って、鍋島藩江戸屋敷へ向かいます。
話を聞いた鍋島直正は嘉兵衛を賞賛するとともに、懇願する年賦払いを了承するのでした。
この結果南部藩と鍋島藩に強固な交流ができ、後年鍋島藩が被る窮状を今度は南部藩が救済する事になります。
また、嘉兵衛は南部藩から80石の家禄を授与されるのでした。
まとめ
前座の皆様から持ち時間たっぷりで、仲入り含め4時間近くの長丁場でした(´▽`)
1,500円でこの内容はめちゃくちゃお得です!
平日の開催なのでなかなか伺うことができなさそうですが、また時間を作っていきたいと思います。
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