2022年10月8日
神奈川県横浜市へ行って参りました。
今回はJR石川町駅から『港の見える丘公園』を歩きます。
この公園は、2011年夏に公開されたスタジオジブリ作品
『コクリコ坂から』にて、主人公の松崎海が毎朝信号機を上げていた
『コクリコ荘』のある場所のモデルとされています。
港の見える丘公園

この一帯は開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。
接収解除後、地元の要望により国有地の無償貸付を受けるなど公園として用地の取得が行われ、昭和36年から整備に入り、昭和37年5月に平野愛子さんの歌う「港が見える丘」のメロディーの中、公園の生みの親ともいうべき半井市長のテープカットにより風致公園として開園しました。以来、フランス領事館跡地のフランス山地域、イギリスの総領事官邸であったイギリス館、昭和53年に大仏次郎記念館、昭和59年に近代文学館など文化の香り高い施設が次々とオープン。
また同年に人形の家とフランス山を結ぶフランス橋が開通、昭和61年10月には大仏次郎記念館と近代文学館を結ぶ霧笛橋が両館と同じ浦辺鎮太郎氏の設計により開通しています。
平成3年5月には、市の花であるバラの制定記念として、約110種1,300株のバラ園が公開されました。平成28年4月1日に緑化工事が終わり、今までバラ園であったエリアは<イングリッシュローズの庭>としてリニューアルオープン。イギリス館を背景にバラ植栽を主とした英国風の庭をテーマに一年草と宿根草との混植のガーデンとなり、四季を通していろいろなバラや草花が咲き競います。また、沈床花壇は<香りの庭>として沈床花壇としての地形を活かしながら四季を通してバラや草花、花木の香りと彩りをお楽しみいただけます。
横浜市ホームページより
現地の写真
展望台





ベイブリッジ・京浜工業地帯・大桟橋
そして、ガンダムが見えます。
イングリッシュローズの庭

1989(平成元)年9月に市政100周年、開港130周年を記念して横浜市民に親しみのあるバラが「市の花」に制定されました。それを期に、バラがイギリス国花であることからイギリス館のあるこの地が1991(平成3)年5月にバラ園が開園されました。
このバラ園はモダンローズの四季咲大輪系、四季咲中輪系のバラが主に植えられていました。その後、2016(平成28)年3月に【横浜みどりアップ計画:都心臨海部の緑花による賑わいづくり】の取り組みの一つとして港の見える丘公園に特色のある3つのバラ園(イングリッシュローズの庭、香りの庭、バラとカスケードの庭)整備を行い、魅力アップが図られました。当時あったモダンローズは園内や市内の他のバラ園に移植され、この庭は、イギリス館と調和するようなバラや様々な宿根草などを植裁した英国風の庭として再整備されてました。
現地案内板より





















フランス山(旧フランス領事館)

1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居住地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定しました。
1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。1875(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替を繰り返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡しました。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしましたが、なかなか実現しないでいたところ、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の請願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。
(中略)1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに崩壊します。震災後、領事館は仮設の建物を使用していましたが、官邸は1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その鑑定も、戦後間もない1947(昭和22)年には火災で焼失しています。現存している遺構はその際に焼け残った1階部分です。
現地案内板より






アクセス
住所:神奈川県横浜市中区山手町114
みなとみらい線 元町・中華街駅から徒歩5分
JR根岸線 石川町駅から徒歩20分
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