2023年5月1日
神奈川県横浜市港北区へ行ってきました。
今回はJR小机駅から徒歩10分。小机城址を歩きます。
小机城址

小田原北条氏の関東攻略最前線基地となった城です。
続・日本100名城(No.125)にも選ばれています。
小机城は室町時代の永享の乱(1438~1439)の頃、関東管領の上杉氏によって築城されたとされるが、正確な年代は分かっていない。
小机城の名前は、最も一般的に小机の地名から名付けられた。別名としては、
・根古屋城:小机城のある城山の裾野の古い地名の根古屋から呼ばれた。
・飯田城 :神奈川湊から小机・下菅田に通る道は、かつて飯田道と言われていたことから、
飯田城とも呼ばれていた小机城が小机の場所に選ばれた理由としては、
・地形の特長:城のある丘陵は、北・西・東の三方を鶴見川に囲まれており、
周囲の展望にもすぐれた要害の地となっていた。
・交通の要所:上記の飯田道の陸路と、当時、舟着き場のあった鶴見川の
水路の合流点が小机で、交通の要所であった。
・関東進出の要:小田原北条氏が相模から関東に領域を拡大した時に、
小机城がその支配の要の地となった。【小机城の魅力】
・小机城は、代表的な中世城郭の平山城のひとつ。
・横浜での戦国時代の幕開きとなった城。
・茅ヶ崎城をはじめ、いくつもの小机城の支城を抱えている。
・「空堀」と「土塁」など城としての保存状態がかなり良い。
・横浜市は、1977年(昭和52年)10月1日に「小机城址市民の森」に指定し、いつでも、だれでも自由に城址の散策を満喫することができる。
・2021年(令和3年)から発掘調査が開始され、新たな発見が期待される。【二つの歴史舞台】
小机城は、かつて明暗を分けた二つの歴史舞台があった。・太田道灌の伝説の歴史舞台となった小机城攻めで、戦いに敗れ40年間廃城となった小机城。
小机の城のあるまちを愛する会・よこはま縁結び講中 『小机城の魅力』より
・小田原北条氏の関東進出の際、最前線の役割を担った小机城。
MAP

出典:小机城のあるまちを愛する会
城址の写真
根古屋広場

郭への道



角馬出/土橋/西郭虎口




【虎口】
城からのメインの出入口となる。城域内のあちこちにある出入口は「虎口」と呼んだ。【馬出】
最も主要な虎口の外側に、出陣の体制を整える「馬出」が設置されている。馬出は半円形やコの字形の土塁で出入口を防護している。【土橋】
土橋は小口の馬出の間にあって、堀を渡るための土の道路である。土橋はわざとくの字に折り曲げて、敵の直進を妨げ、周囲から攻撃できる防御工夫が施されている。
空堀①



【空堀・土塁】
曲輪の外側の土を深く掘って空堀を作る。掘った土を空堀の両側に高く積上げ、土塁を作る。
土塁には萱(かや)の葉も敷き込み強度をもたせた。土塁と空堀の二重構造が後北条氏の特長である。
西郭(本丸広場)





後北条家の統治下では主曲輪の位置づけとされる。主殿を中心に格式ある空間が形成されていたと推測される。
西郭土塁&櫓台



つなぎ郭




西曲輪と東曲輪との中間部に位置し、小机城の最も高い地点である。
空堀②


東郭虎口/井楼(せいろう)跡



東郭櫓台



東郭(二の丸広場)①





太田道灌に攻められるまでの初期の小机城の主曲輪とされる。鶴見川を挟む対岸の右前方に「亀甲山(かめのこやま)」が位置する。
空堀③









東郭(二の丸広場)②



腰曲輪

空堀④


社


富士仙元



御城印

ふもとにある『小机城のあるまちを愛する会』にて購入できます。
300円(4枚セットは1000円)
アクセス
住所:〒222-0036 神奈川県横浜市港北区小机町789
JR横浜線 小机駅より徒歩10分
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