2022年3月2日
湯島天満宮(湯島天神)の境内を歩いてきました。
当日は『梅まつり』が開催中。
閉館時間も20時になり、日没後はライトアップもしてます。
例年より半月ほど開花が後ろ倒しになったので、満開の梅がお出迎えしてくれました。
湯島天満宮(湯島天神)
御由緒
湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。
湯島天神公式サイトより
境内・梅の写真
湯島神社表鳥居
手ブレがひどい…(;’∀’)
拝殿
本殿
社務所
到着時には18:00を過ぎてましたが、梅まつり開催中なので開いてました。
『新派』由来記念碑
『新派』とは、1888年(明治21年)に始まった、日本演劇の一派です。
この『新派』の記念碑は新派劇創立九十年を迎えた昭和52年11月1日松竹株式会社と水谷八重子氏により新橋演舞場玄関わきに建てられました。
新派の始まりは、明治21年12月、自由党壮士角藤定憲が同志を集め大阪の新町座で『大日本壮氏改良演劇会』の旗揚げをしたのが起源とされています。風雪はげしい九十年ではありましたが、今日『劇団新派』として隆盛を見ましたその先人たちの労苦を偲び、併せて今後の精進を誓うべく記念碑の建立を見た次第です。そして新橋演舞場の改築にあたり、当湯島天神様のご厚意により、新派とは深い縁で結ばれております当天神様のご境内に移させていただいたものです。
なお、碑の題字は作家の川口松太郎氏の揮毫により、設計は舞台美術家の中嶋八郎氏です。
現地案内板より
『講談高座発祥の地』の記念碑
江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や、粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。
文化4年(1807)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講釈師・伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり、庶民と同じ高さでは恐れ多い事を理由に、高さ三尺・一間四面の高座常設を北町奉行・小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、当宮の境内こそ我が国伝統話芸、講談高座発祥の地である。
平成17年11月吉日 六代目一龍齋貞水
上記の碑より
御朱印
社務所が開いていたので、梅まつり限定御朱印拝受しました。
初穂料は500円。
アクセス
東京メトロ千代田線 湯島駅徒歩2分
都営大江戸線 上野広小路駅徒歩5分
JR山手線/京浜東北線 御徒町駅徒歩10分 ほか
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