逗子市を歩く②~小坪海岸と住吉城

2022年1月7日
引き続き逗子市を歩いています。

第2回は、逗子駅よりバスで約20分。
小坪海岸にやってきました。

小坪海岸

沿革

小坪の海岸(鷺浦さぎのうら

 昔の小坪の海岸は、江の島や富士山を正面に見て、鎌倉寄りの飯島崎から大崎の先端まで弓なりに開け、砂浜が広がり、「鷺浦」とも呼ばれてきた風光明媚な所でした。
 鎌倉時代には、源頼朝を始め、将軍や御家人たちが、たびたび遊覧や静養に訪れていました。

 歴史書『吾妻鏡あづまかがみ』によれば、正治二年(1200)九月、二代将軍・源頼家が、朝夷名あさいな三郎義秀など御家人たちを引き連れて、小坪の海辺に遊びに来ました。恒例の「笠懸かさがけ」を始め、船上の酒宴、義秀の素潜りの技や御家人小坂太郎光頼の屋敷で相撲見物など、一日を楽しんだということです。

 毎年十一月に逗子海岸で行われる「流鏑馬」の行事は、この「笠懸」の故事に因んだものです。

現地案内板より
逗子市・自然の回廊プロジェクト

現地の写真

リゾート地、ヤシの木ありがちですね…(;’∀’)

住吉城(正覚寺)

住吉城址

 この断崖の背後に続く丘陵と谷戸を含めた一帯は、中世の山城の性格を供えた住吉城の跡で、戦国時代の歴史の舞台となった場所です。

 永正九年(1512)、小田原を本拠として関東制覇を目前にした北条早雲が、再興三浦市の盟主・三浦道寸の居城・岡崎城(平塚市)を落とし、三浦半島に攻め入りました。道寸と道香の兄弟が立て籠もるこの住吉城も、昼夜を分かたぬ攻撃に落城し、弟の道香主従七人は、逗子の延命寺近くで自刃したと言われています。一方、兄の道寸は、三浦氏の本拠・新井城(三浦市三崎町)まで逃れましたが、ここも三年後に落城し、三浦氏が滅亡しました。

 これまでの調査で、土塁や平場、掘割、間道などの山城の遺構が見つかっていますが、近年の開発事業によって、昔の面影は見られなくなりました。

現地案内板より
逗子市・自然の回廊プロジェクト

境内の写真

外観

住吉城は山城で、かなり急勾配の場所にあります。

城址・住吉神社への道

石段が古くなっているので、滑らすとケガをしそうです(;’∀’)

住吉神社・住吉城址

現地からの景色

ちょっと木に隠れちゃってますが、景色はよさそうですね。

その他の遺構

三枚目がなんとなく、堀切っぽいですね。

アクセス

小坪海岸・住吉城址

住所:神奈川県逗子市小坪5丁目12−9 住吉城址

JR横須賀線 逗子駅
京浜急行線 逗子・葉山駅
いずれかよりバスで20分程度『小坪海岸』停留所 徒歩10分程度

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